誠実さが涙に変わる不条理な朝に――22キロの軌跡と、詩編が示す確かな道
夜中に眠りにつき、まだ深い夜の底にいるような時間に再び目を覚ます。 今日は午前3時に目が覚めました。そのまま起き上がり、いつものようにランニング前の静かなルーティンワークをこなし、午前4時ごろにスタートを切りました。
街の目覚めと、アスファルトに落ちる汗
まだ薄暗い仙台市内を走り抜けます。同じように息を弾ませる多くのランナーたちの姿が、すれ違うたびに目に入りました。今日もまた、いっぱいの汗を流しながら、ただひたすらに前へ前へと足を運び続けました。
22キロの道のりを完走する頃には、街の景色はすっかりと変わり始めていました。 次第に車の量が増え、足早にそれぞれの仕事場へと向かう人々の姿が交差していきます。その慌ただしくも健気なその後ろ姿を見つめながら、「どうか、今日という日がこの人たちにとって平和な一日でありますように」と、走り終えた息を整えながら祈るひと時でした。
誠実さが報われない、不条理な世界の溝
しかし、私たちが生きているこの世界を見渡したとき、その「平和であってほしい」という願いと現実との間には、あまりにも深く、暗い溝が横たわっていることに気づかされます。この社会は、決して綺麗なだけの場所ではありません。
理不尽で不条理な現実が、至る所に口を開けています。
- 報われない誠実さ:
誰かを傷つけることなく、真面目に、誠実に生きようと汗を流している人が、なぜか報われず、どん底の生活から抜け出せない日々が長く続く現実。
- 栄える悪:
その一方で、平気で他者を騙し、自分だけの利益のために不法な行いをする人々が、富を築き、ぜいたくな暮らしを謳歌しているという事実。
私たちは心の奥底で、「正義は必ず勝つ」と信じて生きてきました。しかし、出口の見えない苦しい生活が何年も続くと、その信念は次第に揺らぎ、落胆へと変わります。
「真面目に生きるだけ損なのではないか」「これまでの自分の生き方は、間違っていたのではないか」。そんな深い挫折と悔恨が、誠実に生きようとする人の心を冷たく締め付ける夜があるのです。
それにもかかわらず、響き渡る声
それにもかかわらず、詩編37編の記者は、この不条理な世界で涙を流す私たちに向かって、力強くこう語りかけます。
「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不正を行う者のゆえに、ねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまち枯れ、青草のようにしおれ去る。主に信頼し、善を行え。」(詩編37:1-3)詩編の記者は、世の中の不条理から目を背けているわけではありません。悪が栄え、正しい者が苦しむという現実を痛いほど知った上で、それでもなお「心を悩ますな(思い煩うな)」と命じているのです。
この社会の「損得」や「効率」という定規で測れば、不法に富を築いた者が勝者に見えるかもしれません。しかし、神様の定規は違います。神様は、あなたが誰の目にも見えないところで流した誠実な汗と、正直に生きようとして流した悔し涙のすべてを、決して見落とすことなく見つめておられます。
不法に得た富や地位は、やがて枯れ草のように儚く消え去ります。しかし、あなたが苦しみの中で、それでも正義と愛を手放さずに積み上げてきた「誠実な生き方」は、永遠に朽ちることのない神様の記憶に深く刻み込まれているのです。
あなたの汗は、無駄ではない
22キロの道のりを走り終え、アスファルトに滴り落ちた私の汗も、やがて朝の日差しに乾いて消えていきます。しかし、その一歩一歩が確実に私の肉体を造り上げているように、あなたの誠実な歩みもまた、あなたの魂を気高く、力強く造り上げているのです。
どうか、これまでのご自分の誠実な生き方を悔いることはしないでください。 世の中の不条理に打ちのめされそうになる朝があっても、私たちは再び立ち上がり、正しいと信じる道を歩み続けることができます。あなたのその真っ直ぐな歩みそのものが、この暗い世界を照らす小さな、しかし確かな光だからです。
今日も、共に前進です。
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