デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年7月13日月曜日

朝ラン34キロ完走

 


新しい角度が照らし出す景色:34キロの軌跡と、喜んで生きるという選択

午前147分に起床。まだ世界が深く静かな沈黙に包まれている時間帯に目を覚まします。 会堂での祈り、部屋の掃除、ノアとの散歩、ゴミ出し、そして心を整える聖書朗読。いつもの早朝のルーティンワークを静かに終え、午前3時、夜の闇の中へランニングの第一歩を踏み出しました。

 


見慣れたはずの山々が教えてくれたこと

今日の軌跡は、今日から西公園、尚絅学院中高、大学病院を抜け、台原、八乙女、そして泉中央駅へと至るルート。そこから南光台、宮町、仙台駅を経由し、広瀬橋を渡って帰宅する、合計34キロの道のりでした。

泉中央駅まで自分の足で走って向かったのは、今日が初めてのことです。徒歩で訪れたことは何度もある場所ですが、「走る」という身体感覚を通して眺める風景は、まるで別の世界のように目に飛び込んできました。

とりわけ心を打たれたのは、帰路についた南光台から眺めた北山や泉ヶ岳の姿でした。 これまで何度も目にしてきたはずの風景が、まったく違う表情を持っていたのです。それはおそらく、私が立つ位置が変わり、「見える角度」が異なったからでしょう。 初めての道を踏みしめながら走る胸の高鳴りと、したたり落ちるたくさんの汗。空が少しずつ白み始めるにつれて、道端でお年寄りがのんびりと散歩をする姿とすれ違いました。

すれ違う彼らはきっと、目の前を走り抜けていくこの人間が、はるか長町から走ってきているとは思いもしないでしょう。 その時、ふと感じたのです。私たちは皆、すれ違う他者には見えない「その人だけの長い道のり」を背負いながら、同じ朝の光の中を生きてるのだ、と。

 


慌ただしい日常という名の「巡礼」

ランニングから帰宅した後も、息をつく暇はありません。 忙しくなる予感に背中を押されるように、朝は娘を駅まで送り、11時半ごろには妻を送り届けます。その後、夕食の準備を整え、16時からは地区の牧師会へ向かいます。夕食を取りながらの会議ですが、私はどうせ家に帰ってから食べるので、途中のコンビニでサンドイッチでも買っていく予定です。そして夜になれば、仙台でアルバイトをする娘を再び迎えに走ります。

  • 家族を見送る車中
  • 夕食の支度をする台所の温度
  • 片手でつまむコンビニのサンドイッチ

一つひとつを取り上げれば、どこにでもある慌ただしい日常の風景かもしれません。 しかし今日、私にとってこの一日は特別な意味を持っています。10度目となるサンティアゴ・デ・コンポステーラ祈り旅まで、あと「120日」という節目を迎えたからです。

 


楽しく生きることを、選び取る

スペインの広大な大地を歩くことだけが巡礼ではありません。 家族のためにハンドルを握り、食事を整え、額に汗して今日という日を懸命に生きること。それらすべてが、神様が用意してくださった大切な「日常の巡礼」なのだと気づかされます。

私たちは時に、変わらない日々の連続に疲れ、重さを感じてしまうことがあります。しかし、走るルートを少し変えただけで泉ヶ岳の新しい美しさに出会えたように、私たちの心の「角度」を少し変えるだけで、退屈に見えた日常の中に必ず新しい光を見出すことができます。

 


生きること。 生きることを、深く考えること。 どうせ命を与えられ、この道を歩むのならば、私は「楽しく生きること」を考えたい。それは現実から目を背けることではなく、見慣れた景色の中に潜む恵みを、自分の意志で選び取るという強い祈りです。

あなたの今日という道のりも、誰の目には見えなくとも、確かな価値と意味を持っています。立ち止まる日があってもいい。見方を変えれば、そこからまた新しい景色が広がっているはずです。

今日も、共に前進です。

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