デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年7月29日水曜日

シャワーラン35キロ完走

 


濡れた画面と30キロ地点の葛藤:暗闇を抜け出すための「一歩」

今朝の空気は、肌にまとわりつくような重さと冷たさを持っていました。 これまでの朝ランの記録を振り返っても、間違いなく「10本の指に入る」と言えるほど、過酷で厳しい道のりでした。前半は、降り注ぐ雨を全身に浴びてのシャワーラン。 雨音だけが響く静寂の中を順調に駆け抜けていたものの、後半に差し掛かると状況は一変しました。蓄積された疲労と、喉を焼くような激しい渇き。足取りは次第に重くなり、息を吸い込むたびに身体が悲鳴を上げているのを感じました。

 


頼り切っていたものの「沈黙」

渇きを潤そうと、途中でコンビニエンスストアに立ち寄りました。 しかし、ここで思わぬ壁に直面します。雨に濡れた指先と、水滴に覆われたスマートフォンの画面。何度タップしても、画面は無機質なまま一切の反応を示してくれませんでした。

結局、水を買うことを諦め、再び走り出すしかありませんでした。 かつては、こうした事態に備えて常に100円玉をポケットに忍ばせていたものです。しかし、いつの間にか「画面ひとつで何でも解決できる」というデジタルの便利さに頼りきりになっていました。

  • 手の中にあると思っていた安心は、環境が変わればいとも簡単に機能しなくなる。

その事実に直面し、私は原点に立ち返ることを決めました。明日からは、確かな重みのある100円玉を3枚、しっかりとポケットに忍ばせて走ることにします。

 


橋の上での誘惑と、前に進む理由

極限状態はさらに続きました。 30キロ地点。橋に差し掛かり、眼下に流れる川の水面を見つめた瞬間、私の中に強烈な衝動が湧き上がりました。

「このままあの川に飛び込んで、泳いでしまいたい」

それは、乾ききった身体と限界を迎えた精神が発した、偽りざる本音でした。苦しい現実から逃れ、冷たい水の中にすべてを委ねてしまいたいという痛切な誘惑。

それでも、私は橋を渡りきり、自分の脚を前に出し続けました。 そして何とか、35キロを完走することができたのです。

 


トンネルの闇を切り裂くのは「時間」ではない

なぜ、私たちは苦しい時でも脚を止めないのでしょうか。 それは、目的地にたどり着くためには、早かれ遅かれ「自分の脚で前に進む」しかないという真理を知っているからです。人生において、暗いトンネルの中に迷い込んだように感じる時があります。 光が見えず、ただただ不安と苦しさだけが覆い被さってくるような時間。私たちはつい、「時間が解決してくれるだろう」と立ち止まってしまいがちです。

しかし、暗闇の中で立ち止まっていても、ただ冷たい闇の中で時間が無為に流れていくだけです。問題が自然に消滅することはありません。

  • 時間は、痛みを麻痺させることはあっても、私たちを出口へ運んではくれない。
  • 出口の光を引き寄せるのは、傷つきながらも踏み出す「自分自身の次の一歩」だけである。

聖書にも「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマの信徒への手紙 5:3-4)とあります。渇きに耐え、重い脚を引きずりながら進んだ35キロの道のりは、まさに暗闇の中で自らの脚を使って希望を生み出すプロセスそのものでした。

本当にしんどい、過酷な朝のシャワーランでした。 しかし、決して立ち止まることなく、最後まで走り続けた自分の身体と心に、今は深い感謝の念を抱いています。

今日も、共に前進です。

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