デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年7月30日木曜日

7月ラン500キロ完走

 


涼風と不条理:同じ大地で迎える朝と、500キロの軌跡

今朝もまた、いつものようにランニングの道を駆け出しました。 頬を撫でる風は驚くほど心地よく、とめどなく流れる汗を優しく吹き飛ばしてくれます。その涼しい風は、まるで目に見えない手が私の背中を押し、前へ前へと進む力を与えてくれているかのようでした。次第に夜が明けきり、今日という新しい朝を迎える人々の姿が目に飛び込んできます。 散歩を楽しむ人、私と同じように走る人、愛犬を連れて歩く人。そこにあるのは、何の変哲もない、ただひたすらに平和で穏やかな日常の風景でした。

 


まったく異なる朝の風景

しかし、走りながら私の胸の内には、もう一つの景色が静かに、しかし重く広がっていました。この平和な風が吹く同じ大地のどこかで、先日発生した熊本地震によって、深く沈み込むような不安と、先の見えない不便さ、そして大切なものを失った悲しみのただ中で、今朝を迎えている人々がいるという事実です。

  • 一方は、心地よい風に吹かれる穏やかな朝。
  • 一方は、恐怖と悲嘆に包まれた過酷な朝。

同じ地平の上にありながら、これほどまでに異なる朝が存在する。それはあまりにも不条理であり、時に目を背けたくなるような残酷さを含んでいます。しかし、逃れようのない現実として、私たちはこの不条理な世界を共に生きているのです。

 


「共に泣く」という祈りの姿勢

なぜ、このような違いが生まれるのか。人間の知恵では到底計り知れない問いを前にした時、私たちが取るべき態度は何なのでしょうか。

聖書には、このような言葉が記されています。 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙 12:15

私たちが今、平和な朝を与えられているのは、決して私たちが優れているからでも、特別に守られているからでもありません。それはただの「恵み」です。だとするならば、この穏やかな風の中で私たちがなすべきことは、悲しみの中にある人々の痛みを心の片隅に置き、遠く離れた地から祈りの手を開くことなのだと思います。

不条理な現実を前にして、無力さを感じるかもしれません。それでも、彼らの悲しみを「忘れない」こと。それ自体が、共に泣き、魂を寄り添わせる一つの愛の形なのです。

 


立ち止まる時間、そして新たな月へ

色々な思いを巡らせながら走り続けた今日のランニングで、一つの節目となる「7月の500キロ完走」を迎えることができました。明日からの二日間は、走り続けてきた脚を止め、静かに休息を取ることにします。 休息もまた、次に進むための大切なプロセスです。すり減った身体を回復させ、同時に、不条理な現実に向き合い心を整える静寂の時間。そうして二日間の空白を経た後、改めて8月の新しいランニングへの挑戦を始めます。与えられた今日という日を、感謝と共に、そして悲しむ人々への祈りとともに歩んでいきたいと思います。



今日も、共に前進です。

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