湿度を帯びた風と秘密の決意──「自分の限界」を受け入れるという愛の形
二人をそれぞれ駅へ、そしてパート先へと見送る昼。 無事に自宅へと帰り着き、静かになった部屋で仕事に向かいます。
月報『EL CAMINO』の7月号を仕上げ、印刷と配布の作業を進める時間。週報やコラムの執筆、次週の説教の準備と、目の前にはなすべきことが連なっています。絶えず仕事をしながら歩んでいける人生そのものに感謝し、さらに「そのことに感謝できている今の自分」に対して、深い感謝が込み上げてくるのを感じます。
そして今日は何よりも、一人の兄弟が無事に退院されたという報せが、心に温かい光を灯してくれました。
娘のための、ひそかな決断
梅雨特有の、重く湿った空気が肌にまとわりつく一日です。 今日も娘は、学校の後、仙台でのアルバイトに出かけます。しかし今日は、これまでと少し違う「ある決意」を胸に秘めて夜を迎えることにしました。
それは、「迎えに行く約束をしない」ということです。
夜遅く、目が覚めていれば連絡をしよう。しかし、無理をして起きていることはやめよう。(先日は一睡もできずその疲れが今も・・・)一人、ひそかにそう決めました。そして、これからもこの形をとることにしたのです。
一見すると、突き放したように思えるかもしれません。しかしこれは、深く考え抜いた末の結論でした。 なぜなら、「自分自身の健康が、娘のためにも家族のためにも、最も大きな影響を与える」という明らかな事実に気づいたからです。
限界を認めることは、愛すること
私たちはしばしば、「自己犠牲」こそが家族への愛だと勘違いしてしまいます。 自分の睡眠を削り、体力をすり減らしてでも、相手のために尽くすこと。それこそが愛なのだと、無理を重ねてしまうことがあります。
しかし、自分という器がひび割れ、倒れてしまえば、結果的に最も深い悲しみと負担を背負うのは、他ならぬ大切な家族です。
- 自分の限界を正しく知ること。
- 休息をとり、自分の器を健やかに保つこと。
これらは決して身勝手なことではなく、家族を長く、深く愛し抜くための最も誠実な責任の取り方なのです。聖書が安息日を定め、人間に「休むこと」を命じたのも、私たちが自らの有限性(限界)を受け入れるためでした。
自分の力で出来ないことは、そのまま受け入れる
窓の外は晴れていますが、梅雨の湿気は日増しに濃くなり、明日はまた雨の模様です。
しかし、明日が雨だからといって、私の生活の根幹が揺らぐことはまったくありません。空模様を私の力で変えることはできないからです。
自分の力で出来ないことは、そのまま静かに受け入れる。 天候であれ、自分の体力の限界であれ、それを「コントロールしよう」と抗うのをやめたとき、心に本当の静寂が訪れます。私たちは全能ではありません。
だからこそ、変えられないものは天に委ね、自分に与えられた「今日」という範囲の中で、ただ誠実に生きるのみです。
自分の弱さを認め、無理を手放したその手で、明日もまた大切な人たちを支えていく。 その静かな決意を胸に、今日という日を閉じたいと思います。
今日も、共に前進です。
*今日も夕食は一人でマーボー豆腐を作って食べます。これで三日連続のマーボー豆腐です。 理由は、いま物を噛むことが難しい状態が続いているため、食べやすくて栄養を摂りやすい料理を選んでいるからです。そのおかげで、しばらく眠っていたミキサー機が、
最近は毎日のように大活躍しています。
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