満たされた後に探すもの。私たちが彷徨う「空間」と魂の帰る場所
人は、お腹が空いているとき、頭の中が「食べ物」のことでいっぱいになります。 しかし、いざ食事が与えられ、その空腹がすっかり満たされたとき、私たちの心は次に何を考えるのでしょうか。
ひとつの「穴」では生きられない私たち
食欲という最も根源的な欲求が満たされても、私たちの思考がそこで完全に停止し、永遠の満足を得ることはありません。心はすぐに次の関心事へと移り、別の何かを求め始めます。もしかすると、人間というものは、たったひとつの「穴」——ひとつの空間や、ひとつの満たし——だけでは決して生きていけない存在なのかもしれません。
私たちは常に、何らかの「空間」の中で生きています。
- 雨風をしのぐ、家という空間
- 自分の役割を確認するための、社会や家庭という空間
- 心を満たすための、趣味や人間関係という空間
次から次へと新しい空間を求め、その中を移り渡りながら生きていく。そして、人生の最後の時が近づくと、多くの人が自分の行き着く先として「墓場」という空間を考え始めます。常に空間の中に身を置き、空間を埋めようとし続ける。それが、人間の逃れられない本質なのだろうかと考えさせられます。
永遠を慕う渇きと、本当の居場所
私たちがこれほどまでに「空間」に執着し、次々と新しい満たしを求めてしまうのはなぜでしょうか。それは、私たちが本来、この目に見える有限の空間だけでは決して満足しきれないように造られているからです。
聖書には、人間の心の奥底にある真実を突く、このような言葉があります。
「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。」(コヘレトの言葉 / 伝道の書 3:11)
私たちが次々と新しい空間を求め、最終的に墓場という物理的な空間にまで思いを馳せるのは、心の奥底にある「永遠への渇望」の裏返しです。私たちは、やがて朽ちていく土の中の穴ではなく、絶対に失われることのない「永遠の居場所」を、魂の深いところで探し求めているのです。
恐れずに、今の空間を生きる
私たちの魂が最後に行き着き、永遠に安らぐことができる場所。それは、冷たい石の下の空間ではなく、命の源である神様の、果てしなく温かく、広大な恵みの中です。
その最大の「空間」がすでに約束されていると知るとき、私たちはこの地上での有限な空間を、恐れることなく、もっと自由に生きることができるようになります。お腹が空き、満たされ、また別の何かを求める。そんな不完全で愛おしい人間の営みを繰り返しながら、確かな光の差す方へ、一歩ずつ歩みを進めていきましょう。
今日も、共に前進です。
0 件のコメント:
コメントを投稿