デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年7月6日月曜日

善い人?

 


太陽を待つ曇り空と、不完全な私たちが結び合うための「弱さ」

今日の大年寺山公園コースの散歩も、見上げれば灰色の曇り空が広がっていました。 このように曇りや雨の日が長く続くと、私たちは理屈抜きに、あの明るく温かい太陽の光がひどく恋しくなります。そして、晴れの日がいかに私たちの日常にとって大切なものであったかを、肌を通して実感するのです。

天気というものには、本当に不思議な力があります。 雲ひとつない晴れ晴れとした空は、私たちの心までパッと明るく引き上げてくれます。反対に、今日のような重く垂れ込めた曇り空は、どこか憂鬱で沈んだ気分を連れてきます。

しかし、よく考えてみれば、私たちが天気にこれほど影響を受けるのは、ごく当たり前のことなのかもしれません。 なぜなら聖書は、最初の人間が「土から造られた」と教えているからです。私たち人間もまた、大いなる自然の一部であり、同じ自然の構成員としてこの地上を歩んでいる命なのです。

 


裁く心と、私たちの中にある矛盾

自然の構成員であるはずの人間ですが、その歩みには常に矛盾がつきまといます。 美しい自然を命懸けで守ろうとする人々がいる一方で、平気で自然を破壊していく人々もいます。この決定的な差は、一体どこから来るのでしょうか。

人間とは、本当に不思議で、そして哀しい生き物です。

  • 自分自身は日々過ちを犯し、弱さを抱えているのに。
  • 他者に対しては「常に清廉で、善い人でいてほしい」と強く願ってしまう。

たまに著名人の不祥事が報道されると、それまで社会が抱いていた素晴らしい印象は一瞬にして消え去り、悲しいかな、その「最後の失敗した姿」だけが人々の記憶にこびりついてしまいます。彼らも私たちと同じ、血の通った、過ちを犯す一人の人間に過ぎないにもかかわらず、私たちは勝手な期待を押し付け、裏切られたと感じて裁いてしまうのです。

 


「善い人」はいないという、静かな救い

ある日のこと、一人の青年がイエス様の元を訪ねてきました。 彼が「善い先生」と呼びかけたとき、イエス・キリストは静かに、しかし明確にこう答えられました。

「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」(マルコによる福音書 10:18

この世界に、自分自身の力だけで完璧な「善い人」になれる人間など、一人もいません。誰もが心に影を持ち、間違え、利己的になってしまう「罪人」として存在しているのです。しかし、この事実は決して絶望ではありません。むしろ、私たちを完璧主義の重圧や、他者を裁く冷たい心から解放してくれる、大いなる希望の光です。

 


弱さを持ち寄り、支え合う世界へ

誰も完璧に善くはない。だれもが欠けを持った不完全な存在である。 だからこそ、私たちの生きるこの世界には、互いの弱さを補い合い、助け合いながら生きるための「余白」が用意されているのです。相手の弱さを責めるのではなく、「自分もまた弱い人間なのだ」と互いに認め合うこと。その深い自己認識と赦しがあって初めて、人と人との間に本当の意味での「助け合い」が生まれます。 曇り空の下で、私たちが太陽の温もりを求めるように。不完全で弱い私たちは、互いの存在という温もりを必要としているのです。

自分の弱さを隠さず、他者の弱さを優しく包み込みながら、今日という日を丁寧に歩んでいきましょう。

今日も、共に前進です。

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