デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年7月19日日曜日

警察ですが

 


🌅 まだ薄暗い道で出会った問い” ― 寛容をめぐる朝の出来事

「寛容の温度を取り戻すために、私たちはどこを走るのか」

朝の空気は、まだ夜の名残を少しだけ抱えていました。 345分にランニングをスタートし、身体がようやく温まり始めた頃。 走り出して2分も経たないうちに、後ろからSUV車が近づき、声をかけられました。

「今、どの辺を走っているのか」 「長町駅のところを走ったか」

突然の呼びかけに、心が少しだけざわつきました。 警察だと言いながら、バッジも見せず、所属も名乗らず、車の中からのぶっきらぼうな言葉。 最近の偽警官のニュースが頭をよぎり、 「しっけいだな」と思ったのは、正直な感情でした。その受け答えをして、走り続けました。 その足取りの中で、ひとつの思索が静かに始まったのです。

 


近年、警官など公務員の不祥事が報じられることが増えています。 しかし、使命感を持って誠実に働いている人の方が圧倒的に多いことを、 人々はすぐに忘れてしまう。

9つの正しい行いがあっても、1つの過ちで台無しになる」 「その1つだけが記憶に残される」これは、今の社会の温度を象徴しているように思えます。 寛容ではなく、冷たく、自己責任を突きつける社会。 一度の失敗で人を切り捨ててしまう社会。

その冷たさは、私たちの心にも知らぬ間に染み込んでいるのかもしれません。

 


聖書は、人を裁くよりも、赦し、理解し、助け合う群れをつくるようにと語ります。 社会全体が急に寛容になることはありません。 しかし、私たちの足元から、寛容の温度を取り戻すことはできる。家族の中で。 職場の中で。 教会の中で。 そして、走りながら出会う小さな出来事の中で。寛容とは、社会の大きな構造ではなく、 一人ひとりの心の選択から始まるものなのだと、 あの早朝の道で気づかされました。

 


今日のランニングは26キロ。 礼拝後には月に一度のお茶会があり、人々と語り合う時間が待っています。 そのひとときが、寛容を育てる小さな群れとなることを願いながら、 私は今日も歩みを進めます。

今日も、共に前進です。

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