荒れ狂う川のそばで、変わらない坂道を上る背中へ
雨の匂いと、静かなる確信
今朝は心地よい小雨の中、大年寺山公園から山、そして川沿いを巡る約1時間の散歩に出かけました。冷たく湿った空気が肺を満たし、歩くごとに身体の芯が少しずつ目覚めていくのを感じます。
三日間降り続いた雨の影響は大きく、川はすっかり水を増し、いつもとは違う荒々しい勢いで流れていました。激しい水流のせいか、普段なら無邪気に泳いでいるカモなどの小さな生き物たちの姿はどこにも見当たりません。しかし、こんな時でも「あそこに行けば、きっといるはずだ」という場所があります。それはこれまでの長い観察が教えてくれる、私の中の確信でした。予想通り、例のハクチョウはそこに静かに身を寄せていました。
周囲の状況がどれほど激しく変わろうとも、自分の身を守るべき安全な居場所を知っている。その白い静かな佇まいに、不思議な安堵を覚えました。
決して楽ではない道を、淡々と雨の散歩道には、それぞれの人生の足音が交差しています。 黙々とランニングをする人々。愛犬と共に歩幅を合わせる人々。そして、私の視線の先には、ある一人の女性の姿がありました。
毎朝のようにあの山公園でラジオ体操を終えた後、話し合いながら軽食を食べるため、愛宕大橋を渡り、向山へと続く険しい坂を上っていく例のおばあさんです。向山への道は、決して平坦で楽な道のりではありません。息が上がり、足どりも重くなるはずのその坂道を、彼女は「変わらない日課」として今日も淡々と上っていきます。勢いよく流れる濁流のそばで、ただひたすらに自分の今日の一歩を踏み締め続けるその小さな背中。私はその姿に、深い敬意を表さずにはいられませんでした。
変わらない歩みが放つ、静かな光
私たちは時折、状況の変化や人生の荒波の中で、足元をすくわれそうになることがあります。溢れかえる川のように、どうにもならない現実に押し流されそうになり、「このままでいいのだろうか」と立ちすくむ夜もあるでしょう。
しかし、そんな時にふと、一つの聖書の言葉が響きます。
「主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」 (イザヤ書 40章31節)
この「歩いても疲れない」という言葉は、決して魔法のように肉体の疲労が消えるという意味ではないのだと思います。荒れ狂う川のそばでも、長年の観察から自分の居場所を見失わないハクチョウのように。
決して楽ではない向山への坂道を、大切な人との語らいを楽しみに、毎朝変わらず上り続けるあのおばあさんのように。自分に与えられた今日という道を、信じて一歩ずつ淡々と歩み続ける時、私たちの内側には「状況に流されない、新しく静かな力」が湧き上がってくるのではないでしょうか。
あなたの今日という道へ
もし、あなたが今、目の前の激しい流れに圧倒され、歩みを進めることに疲れを感じているのなら。 どうか、無理に走ろうとしたり、大きな何かを成し遂げようとしなくても大丈夫です。
- まずは、嵐の中でも心休まる「自分の居場所」にそっと身を置くこと。
- そして、決して楽ではなくとも、あなたにとって価値のある「変わらない日課」を、今日一つだけ丁寧にこなしてみること。
その地道で誠実な一歩の連続が、やがてあなたの足元を照らす確かな光となり、あなた自身の物語を力強く前へと進めていくのです。
今日も、共に前進です。
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