焼けつく太陽が教えてくれる、「自分は大丈夫」という幻想の向こう側
### 本番の夏の入り口で
今日は見上げる空は青く、肌を刺すような、焼けつくような暑さでした。しかし、これでもまだ本番の夏の「入り口」に過ぎません。一日のうちで最も暑い、太陽が真上から照りつける時間帯。私はあえて買い物に出かけました。妻からは「こんな暑い時間に買い物に行くの?」と驚きと呆れが混じった声で言われましたが、これには理由があります。ノアのきゅうりが、ちょうど無くなってしまったからです。(車だったので大丈夫)
熱気に包まれたアスファルトを踏みしめながら、ふと、この灼熱の時間帯に走っているランナーの姿をたまに見かけることを思い出しました。私自身、この過酷な環境下で走ることは到底真似できないことだと感じます。
### 「自分は大丈夫」という見えない罠
これから、熱中症で救急搬送される方々のニュースが毎日のような報道されるでしょう。それにもかかわらず、危険な時間帯に限界に挑もうとする人がいる。人間の心理とは、本当に不思議なものです。
- 「危ないからやめなさい」
- 「注意してください」
そう促されれば促されるほど、どこかで反発し、あえてやってみたくなる衝動が心の奥底に潜んでいるのかもしれません。しかし、熱中症は健康に自信がある人にこそ突然襲いかかるものです。悲しい事故や思いがけない不幸に直面するケースの多くは、その根底に「自分だけは大丈夫だ」という思い込みが隠れています。警告のサインを見落とし、自分の限界を過信してしまうこと。それは、私たちが日常の中で最も陥りやすい「見えない罠」なのです。
### 聞く耳を持ち、限界を受け入れる恵み
「自分は大丈夫」。そのうぬぼれを手放し、他者の忠告や自然の摂理に対して「聞く耳を持つ」こと。それこそが、命を守り、心豊かに生きるための最も重要な知恵ではないでしょうか。聖書には、このような言葉が記されています。
「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」 (コリントの信徒への手紙一 10章12節)
私たちが本当に強いのは、限界を知らないからではありません。自分がいつでも倒れうる、弱く脆い存在であることを素直に認め、「自分にもありうることだ」と受け止めることができるからです。
妻の「こんな暑い時間に?」という何気ない一言も、あるいは照りつける太陽の熱も、私たちが無理をして倒れてしまわないようにと、立ち止まる機会を与えてくれる「神様からのブレーキ」なのかもしれません。ノアのきゅうりを手にして帰路につく道すがら、そのブレーキのありがたさを静かに噛み締めました。
### 弱さを認めて、今日を歩む
私たちはみな、不完全で弱い存在です。 しかし、その弱さを認め、忠告に耳を傾け、決してうぬぼれることなく謙虚に歩幅を合わせるとき、私たちの進む道はより確かで、安全なものになります。照りつける夏の日差しの中でも、涼やかな風の声に耳を澄ませる心のゆとりを持ちたいものです。夜のあいだに雨が降ったようです。 目覚めて外を見ると、道路がしっとりと濡れていました。こうして、暑い一日が過ぎたあと、静かな夜の時間にそっと熱を冷ましてくれる雨が、毎日少しだけ降ってくれたらいいのになと思いました。
これからしばらく、仕事の時間です。
今日も、共に前進です。
0 件のコメント:
コメントを投稿