デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年7月15日水曜日

水曜日の風景

 


夏空と静寂の向こう側で、それぞれの命が「今日」を生きる

静寂な朝、呼吸を確かめる時間

午前4時過ぎ。 街がまだ深い眠りの底にある静けさの中、大年寺山公園へと歩みを進めました。風はなく、肌を包む空気は少し厚みを増していましたが、暑苦しさはありません。 夏の気配をそっと肩に羽織るような、穏やかな温度でした。



誰もいない大年寺の階段。 その道のりを、半分は走り、半分は歩いて上る。 自分の足音と呼吸だけが響くその時間は、今日という新しい一日を迎えるための、静かな儀式のようでもあります。約1時間の道のりのなかで、私の目に飛び込んできたのは、力強く生きる「命」の姿でした。



  • 広瀬川のハクチョウ:水草をはみ、今日を生きるための確かな備えをしている。
  • 川沿いの夏草:いつの間にか背丈を超え、天へ向かって真っすぐに伸びている。
  • 見上げる空:これから始まる強い日差しを予感させる、まぎれもない夏空が広がっている。

 


水曜日の風景、繰り返される営み

今日は水曜日。 この街の一般ごみ収集日です。

それは同時に、街のギャングたち——カラスたちのパーティーの日でもあります。

早朝から、黒い影があちこちに見えました。 散らかされるゴミ。そして、それを黙々と片付ける人。毎週のように繰り返されるこの光景に、徒労感を覚える人もいるかもしれません。 しかし、街の人々はそれほど怒るわけでもなく、「いつもの風景」として受け止めているように見えます。

そこにあるのは、諦めではなく、 「人間もカラスも、ただ今日を生きているだけ」という事実の受容なのかもしれません。

 


普遍的な真理:空の鳥も、私たちも

カラスは生きるための糧を求め、 人間は生活の秩序を守るために片付ける。

広瀬川のハクチョウが水草を食べるのも、 草刈りをして働く人々が汗を流すのも、 すべては「生きる」という尊い営みの一部です。

聖書にはこうあります。

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。 だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。」 (マタイによる福音書 626節)

美しいハクチョウも、ゴミをあさるカラスも、 みな等しく「空の鳥」であり、今日を生き延びるための命の火を燃やしています。

そして私たち人間もまた、同じ空の下で、 散らかっては片付けるという終わりのない日常を繰り返しながら、 今日という日を懸命に歩んでいます。

その繰り返しの階段を、 半分走り、半分歩きながら上っていくことこそ、 私たちが生きている証そのものなのです。

 


今日という日を受け入れる

背丈を超える夏草のように、もどかしい壁を感じる日もあれば、 風のない静かな朝に安らぎを覚える日もあるでしょう。それぞれの場所で、それぞれの命が、 今日を生きるための備えをしています。焦る必要はありません。 自分に与えられた階段を、自分のペースで、着実に上っていけばよいのです。見上げれば、そこには広い夏空が待っています。

今日も、共に前進です。

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