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2026年7月24日金曜日

「誤断」

 


隠蔽という闇に抗う光――ドラマ『誤断』が問う、私たちの本当の「居場所」

梅雨の湿り気を含んだ空気が、夜明け前の街を静かに包んでいました。 雨が降ったり止んだりするこの季節特有の重さを胸に感じながら、 ひんやりとした広瀬川沿いをゆっくりと駆け抜けていきます。20キロ、30キロと長い距離を踏みしめるその時間は、 ただ走るだけの時間ではありません。 60年という自分の人生の軌跡、 そして私たちが生きるこの社会の足元について、 ふと深く思いを巡らせる静かなひとときでもあります。

長く走っていると視界が澄み渡り、普段は見過ごしてしまう心の奥の澱(おり)のようなものが浮かび上がってくる感覚を覚えます。今朝の私の心をとらえて離さなかったのは、Amazonプライムビデオで観たドラマ『誤断』の余韻でした。

巨大組織の論理と麻痺する良心

堂場瞬一氏の小説を原作とするこの作品は、大手製薬会社を舞台にした骨太な社会派ヒューマンサスペンスです。主人公である若き広報部員は、自社の薬品が引き起こした不可解な転落死と、40年前から続く公害事件の隠蔽を副社長から指示されます。会社の繁栄と存続という大義名分のもと、法の網をかいくぐり、被害者たちを犠牲にしていく巨大組織。その中で彼は、一人の企業人としての「立場」と、人間としての「罪悪感」の狭間で激しく引き裂かれていきます。 このドラマが突きつける葛藤は、決してフィクションの中だけの絵空事ではありません。私たちの社会では、しばしば「組織」が絶対的な権力を持ち、時に小さな神のように君臨します。生活を守るため、家族を養うためという名目のもと、人は組織の論理に飲み込まれ、真実から目を背け、自らの良心を少しずつ麻痺させていく。主人公の痛切な姿は、現代社会を生きる私たちが直面しうる「魂の妥協」を、鏡のように鋭く映し出しています。

恐れるべきは誰か

キリスト者としてこの作品と向き合うとき、私たちは「自分の本当の主は誰か」という根源的な問いに立ち返らざるを得ません。

「人には、自分の道がみな正しく見える。しかし主は、人の心の値打ちを量られる。」

(箴言 16:2

組織の利益を守り抜くことは、企業社会の中では一つの「正義」に見えるかもしれません。しかし、神様の眼差しは、隠された真実と、利益のために踏みにじられた弱者の痛みに注がれています。聖書は私たちに、この世の体制や組織に盲目的に同化するのではなく、光の子として歩むことを求めています。会社という器がどれほど巨大で強大に見えても、それは永遠に続くものではありません。私たちが最終的に責任を問われるのは、会社の役員に対してではなく、私たちの心の奥底の動機までを見通しておられる創造主に対してです。旧約聖書のミカ書には、神様が私たち人間に求めていることが極めてシンプルに記されています。

「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むこと」(ミカ書 6:8

会社のためという偶像崇拝から抜け出し、隠蔽という暗闇を打ち破る唯一の方法は、自らの弱さを認め、光の差す方へ一歩を踏み出すことです。たとえそれが、この世的な地位や安定を失う「誤った決断」だと他人に笑われたとしても、神様の目から見れば、それこそが魂を救う「英断」となるのです。

正しいことを貫く道は、時に孤独で、険しい上り坂のように感じるかもしれません。

しかし、真理の光のもとを歩くとき、そこには組織の庇護では決して得られない、突き抜けるような深い平安があります。

今日私たちが立つそれぞれの場所で、小さな嘘を退け、誠実さを選ぶこと。

そのささやかな選択の積み重ねこそが、冷たくなった社会に温度を取り戻す光となります。 魂の震える声に耳を澄ませて。

今日も、共に前進です。

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