デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年7月25日土曜日

丑の日

 


恵みの雨に洗われる朝――満ちゆく川と、日常という名の祝祭

午前5時。窓の外で激しく降る大雨を目にしたとき、躊躇するどころか、不思議と「こういう時こそ走らなければ」という強い衝動が胸の奥から湧き上がってきました。

雨粒を全身に浴びながら駆け出す、久々のシャワーラン。夏の厳しい暑さを知るランナーにとって、この時期の雨は決して障害ではなく、むしろ恵みです。火照る身体を冷まし、息吹を与えてくれるこの雨を、私はどこかで待ち望んでいたのかもしれません。

 


雨の中で汗を流す人々と、満ちていく命

早朝5時にスタートして6時前に仙台駅周辺を通り抜けると、そこには思いがけない熱気がありました。今日と明日に控えた祭りのために、雨の中でテントの設営作業に汗を流す多くの人々の姿。誰かが楽しむ祝祭の裏側には、こうして人知れず働き、準備をしてくれる人々の沈黙の労苦があります。(もちろん彼らは仕事で行うことですが、それでもありがたい。)その風景を目に焼き付けながら、楽天球場の方へ。 激しい雨と、自分自身の内側から溢れる汗とが混じり合い、まさに全身でシャワーを浴びているような心地よさに包まれます。自分の力で前に進む汗の熱と、天から降り注ぐ雨の冷たさが交差する中を走り続けました。

宮城刑務所の前を通り過ぎ、広瀬橋を渡って帰宅するまでの約20キロ強。これで今週の走行距離は123キロに達しました。真夏の道のりとしては、悪くない足跡です。 橋の上から見下ろした川は、昨日の渇きが嘘のように豊かな水かさを増していました。その満ちゆく流れを見て、川の生き物たちもきっと水底で喜んでいるだろうと、深く安堵する自分がいました。

 


天からのシャワーがもたらすもの

私たちはしばしば、人生に降り注ぐ「雨」を予期せぬトラブルや困難と捉え、傘を差して逃げ込もうとします。しかし、自らその雨の中に飛び込んでみると、それが乾ききった大地を潤し、私たちの魂の澱を洗い流す「恵みのシャワー」であることに気づかされます。

「神は、御自分の雲に水を満たし、その雲から稲妻を放たれる。雲は神の導きによって巡り、神が命じられることをすべて、人の住む地の上で成し遂げる。」 (ヨブ記 37:11-12

神様の降らせる雨は、祭りの準備に汗を流す人々の肩にも、ひたすら道を駆けるランナーにも、そして川底で息を潜める小さな命にも、等しく、豊かに注がれます。 人間の力では決して生み出せないその圧倒的な恩寵が、私たちの流した汗ごと包み込み、渇いた心を再び満たして、「また生きていける」という静かな喜びを与えてくれるのです。

 


 ランニングを終え、いつものルーティンワークをこなして、今は静かな一休みの時間を迎えています。 妻はすでに早朝のアルバイトへ出かけ、娘は昨夜のバイトで疲れた体を休ませてまだ深い夢の中。雨音だけが響く家の中で、それぞれの命が今日という日を歩んでいます。


 

明日は丑の日。 少し仕事を片付けたら、家族のためにうなぎを買いに出かけようと思っています。天から与えられた恵みを味わい、 大切な人たちと食卓を囲む―― それは、私たちに与えられたささやかで尊い「日常という名の祝祭」です。

そして、心を整えながら明日の礼拝に備える。 そんな一日の流れは、まるで神様がそっと描いてくださった人生のドラマの一コマのようにも思えます。

うなぎの香りに満たされた食卓も、 静かに祈りへ向かう時間も、 どちらも私たちの心を洗い流し、新しい力を与えてくれる恵みです。

洗い流された新しい心で。 今日も、共に前進です。

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