掌の土器が記憶を温める。複雑な私たちがたどり着くシンプルな祈り
いつものように、土器のカップに温かいコーヒーを注ぎます。両手に伝わる土の素朴な質感と、そこから静かに立ち上る湯気の香り。
このお気に入りのカップは、9年前に御坊の地を離れる際、幼稚園と牧師館を設計してくださった方からプレゼントとして頂いたものです。
御坊を離れてすでに9年という月日が流れていますが、いまだにその方のことを忘れることはありません。なぜなら、このカップを手にするたび、確かな手触りとともにその方の温かな眼差しや言葉が蘇ってくるからです。言葉を発しないひとつの「物」が、人と人との間柄を繋ぎ、大切な思いをこれほどまでに長く保ち続けさせてくれるのです。
人の繋がりの脆さと、私たちの複雑さ
物がこれほどまでに記憶を留め、思いを繋いでくれるのなら。本来、「人」が繋いでくれた人間同士の間柄は、もっと長く、深く、そして力強く持ち続けられるべきではないでしょうか。
しかし現実は、その願いとは裏腹であることに気づかされます。
- あっけなく短く終わってしまう縁
- いつの間にか浅く、表面的なものになってしまう関係
- ふとしたすれ違いで、無惨に壊れてしまう絆
関係がほころぶとき、私たちは時折「あの人が悪い」「自分が至らなかった」と裁き合ってしまいます。しかし、根底にある理由は「人が悪い」からではありません。人間という存在そのものが、決して単純ではないからです。私たちは皆、限りなく複雑で、扱いが難しく、時には自分自身でも持て余すほど厄介で、容易には理解しがたい存在なのです。
土の器が求める、澄み切った願い
複雑な人間だからこそ、私たちは心の奥底で「シンプルな人生」を強く求めてしまうのかもしれません。(反対に、シンプルな存在は、あえて複雑な生き方をしたがるものなのかもしれませんね。)
聖書には、創造主である神様が、私たち人間の脆さや複雑さをあらかじめ知っておられるという言葉があります。
「主は、私たちがどのように造られているかを知り、私たちがちりであることを覚えておられる。」(詩篇 103:14)
私が毎日コーヒーを飲んでいるこのカップが土から造られたように、私たち人間もまた、傷つきやすく複雑な「土の器」です。感情の糸がもつれ、人間関係の難しさにため息をつき、自分自身の厄介さに疲れてしまう。それが人間という存在のリアルな姿です。
しかし、どれほど人生が複雑な迷路のように思えたとしても、私たちが魂の底で求めているものは、実はとても澄み切っています。 それは、「幸せに生きること」。ただそれだけなのです。
複雑なまま、シンプルな幸せを祈る
自分の複雑さを否定する必要はありません。他者の厄介さに絶望しきる必要もありません。もつれた糸を無理に解こうとするのではなく、温かいコーヒーで心をほどくように、「ただ幸せでありたい」というシンプルな願いに立ち返るだけでいいのです。
思い通りにならない複雑な人間関係のただ中にあっても、私たちの中にある「幸せに生きたい」というシンプルな光は、決して消えることはありません。その光を見つめながら、今日という一日を大切に味わって歩んでいきましょう。
これからノアと散歩に出かけます。 帰ってきたらゴミを出して、少しだけ二度寝の時間。
そして――明日は走らないと・・・
今日も、共に前進です。



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