「2秒の見送りと、小さな幸せの選択」
朝の熱気と、二秒の誠実さ
夏の朝は、まだ陽が昇りきらない暗がりのうちから静かに熱を蓄え始めています。早朝四時半、走り終えて汗を拭いながら家に戻ると、いつものように愛犬ノアがそこに待っています。まずはノアに朝ごはんをあげ、そこから私自身の朝のルーティンワークをこなしていく。我が家のいつもの、愛おしい一日の始まりです。
七時五十分、学校へ向かう娘を駅まで送る時間になりました。以前なら玄関先までしっかり出て見送ってくれたノアですが、連日のこの猛暑です。今日は一瞬だけドアの外に身体を出し、次の瞬間には素早く涼しい屋内へと戻っていきました。
「パパ! 2秒だよ!」
車の中で娘が笑いながら教えてくれました。ノアにとっては、あの酷暑の中、たった二秒であっても精一杯の「行ってらっしゃい」だったのでしょう。完璧な見送りではなくても、自分の限界の中で見せた確固たる誠実さ。車内で娘と交わしたその小さな笑い声が、忙しい朝の心にふっと柔らかな風を吹き込んでくれました。
「足りなさ」の隙間に生まれる小さな恵み
家に帰り、自分の朝食を摂り始めると、ノアが足元で「僕にもちょうだい」と言わんばかりに、憐れみを乞うような潤んだ瞳でじっと私を見つめてきます。
「今日はもう食べたでしょう」と心を鬼にして自分の食事を済ませましたが、後から妻との会話でひとつの事実が発覚しました。我が家では、朝食の与え忘れを防ぐために、ノアの「食事済み」の印として扉に空の卵を掛けておくというルールがあります。ところが今朝、私はその印を掛け忘れてしまいました。正確に言えば、水のバケツも外に出しておいたので「これで気づくだろう」と思っていたのですが、その考えは甘かったようです。(おそらく娘だったら気づいたはずですが…)
ノアの「まだ食べていないよ」という無言の訴えに見事に騙されてしまった妻は、彼にもう一度朝ごはんをあげてしまっていました。
私のうっかりミスが引き起こした「朝食二回事件」。厳密に言えばこちらの落ち度なのですが、ノアにとっては思いがけない大幸運、まさに「ラッキーな朝」となったわけです。「今日のおやつはナシね!」とお預けを食らうノアの姿を見ながら、私はふと笑ってしまいました。人間の計画や管理は、決して完璧ではありません。失敗もするし、ルールを忘れてしまうこともあります。けれど、私たちのちょっとしたミスや手落ちの隙間から、ノアが二倍の朝ごはんを楽しんだように、時に予期せぬ小さな喜びや微笑ましい出来事が転がり込んでくることがあります。
邪魔者は自分自身――心の余裕を持って進む
娘は今日、学校が終わった後にアルバイトへ向かいます。そのバイト先では、学生のパート・アルバイトに対してもきちんと有給休暇を取らせてくれる制度が整っているそうです。働く人の権利と生活を大切にしてくれる温かな職場環境に恵まれていることを知り、親としても心からありがたく、誇らしい気持ちになりました。
家族も、愛犬も、それぞれが与えられた場所で、自分にできる精一杯の歩みを進めています。人は生きていく中で、他人の無理解な言葉や意地悪な行動、あるいは思い通りにいかない状況にぶつかり、心をかき乱されそうになることがあります。しかし、冷静に考えてみれば、自分が幸せに生きようとする決意そのものを外側から踏みにじれる人など、誰一人としていません。「だれ一人自分の幸せに生きる道を邪魔する人はいません。本当の邪魔者は自分自身かもしれません。」他人の視線や世間の評価に振り回され、「どうせ自分なんて」「うまくいくはずがない」と自分の心の中に壁を作り、前進を拒んでしまうのは、いつだって自分自身の恐れや焦りです。
聖書にはこうあります。
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに祈りと願いとを捧げ、感謝を込めてあなたがたの求めを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るであろう。」
(ピリピ人への手紙 4章6–7節)
自分の「足りなさ」や不完全さに焦る必要はありません。ノアの二秒の見送りのように、今の自分にできる限りの誠実さを差し出せばそれで十分なのです。思い通りにいかないことがあっても、そこに神様の小さな恵みの余白を見出しながら、自分が決めた道を淡々と歩んでいけばよいのです。
今日も、それぞれの場所で
今日も厳しい暑さの一日になりそうです。
他人の言動に心を揺さぶられることなく、自分が「幸せに生きる」と決めた道を、誇りを持って進んでいきましょう。 完璧を目指して力むのではなく、小さな失敗すらも微笑みに変えられるような心の余裕を胸に抱いて。
焦らず、恐れず、丁寧な一歩を重ねていきましょう。
今日も、共に前進です。
0 件のコメント:
コメントを投稿