わずか20円の紙片に宿る光——「誰に保証されているか」という真実
いよいよワールドカップの決勝戦を控えています。7月半ば。 家族のための食材を買い出しに行き、スーパーのレジで1万円札を差し出したとき、ふと、ある事実が頭をよぎりました。今、私の手から離れていったこの立派な紙幣も、物質としての原価を辿れば、わずか20円ほどの紙切れとインクに過ぎないのだという事実です。しかし現実に、私はその紙片と引き換えに、家族の数日分の命を繋ぐずっしりと重い食料を、カゴいっぱいに受け取っています。
「原価」ではなく「信用先」が価値を決める
なぜ、ただの紙切れにそれほどの絶対的な力が宿るのでしょうか。 それは言うまでもなく、「日本国(日本銀行)」という強力な信用先が、その価値を裏付け、保証しているからです。「信用先が誰か」によって、ものの価値は根底から、そして劇的に変わってしまう。
この経済における当たり前の事実は、そっくりそのまま、私たち自身の「命の価値」に対する深い問いへと繋がっていきます。
自分の「素材」で価値を測るという虚無感
私たちは日々、自分自身の価値を「原価」で測ろうとしていないでしょうか。
- 自分にはどれだけの能力や体力があるか
- どれだけ効率よく、人の役に立つ成果を出せるか
- 社会に誇れるような肩書きを持っているか
現代という市場では、そのような目に見える「素材の価値」ばかりが執拗に問われます。自分の至らなさや、思い通りに動かなくなる体、あるいは失敗という現実に直面するたび、「私にはもう、20円の価値しかないのではないか」と、胸の奥が冷たく沈み込むような虚無感に襲われることがあります。
創造主の透かし模様
しかし、私たちの本当の価値を決めるのは、素材の良し悪しや、自力で付加した能力の量ではありません。私たちの命に、「誰の刻印が押されているか」なのです。
もし私たちの信用先が「世間の評価」や「自分の能力」であれば、その価値は株価のように乱高下し、いつかは紙くずのように暴落する日を怯えながら生きなければなりません。
けれども、私たちを保証しているのは、この世界を創られた神様ご自身です。
私たちが母の胎にいる時から、神様は私たち一人ひとりの命に、ご自身の似姿という決して消えることのない透かし模様を入れ、絶対的な愛という消えない刻印を押してくださいました。「あなたは私の目に価高く、貴い」。その宣言によって、私たちの価値はすでに、究極の信用先によって保証されているのです。
保証された命を歩む
自分自身の原価がどれほどちっぽけで、傷だらけに思えても大丈夫です。 あなたという存在の価値は、背後にある神様の無限の愛によって、すでに完全に裏付けられています。社会がどれほど冷たい評価を下そうと、その価値が揺らぐことはありません。
胸を張り、安心して、今日という日を歩み出してください。あなたの手の中には、誰にも奪われることのない、確かな恵みが握られています。
今日も、共に前進です。




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