渇いた心に潤いを ──自分に「ご褒美」をあげられる健やかさについて
厳しい日差しと、ひとつの区切り
今日も、容赦のない猛暑日となりました。肌を刺すような強い日差しと、息苦しいほどの熱気が街をすっぽりと包み込んでいます。 そんなうだるような暑さの中、娘がひとつの大きな区切りを迎えました。緊張と学びの日々が続いた、実習の最終日です。
昨日のこと、娘との会話の中で「明日からスタバでオレンジマンゴーの新作が出るんだ」という話が出ていました。 そこで今日、すべての実習日程を最後まで駆け抜けた彼女を車で迎えに行った足で、そのままスターバックスへ向かうことにしました。慣れない環境で神経をすり減らし、懸命に頑張った自分への「ご褒美」として、その一杯を味わうためです。
「ご褒美」が教えてくれる心の状態
鮮やかなオレンジ色をした冷たいドリンクを手にする娘を見ながら、ふと「ご褒美」という言葉の持つ深い意味について思索を巡らせていました。
自分で自分に「ご褒美」をあげられること。 それは単なる贅沢や甘えではなく、心がとても元気で、健やかな状態にある証拠ではないでしょうか。
- 自分の歩みや努力を、自分自身でしっかりと認めてあげられること。
- 「よくやったね」と、自分を励まし、労うことができること。
自分で自分を慰め、励ますことができる人は、心に風通しの良い余白を持っています。
一方で、世の中には自分に対して「最も厳しい裁判官」になってしまう人がいます。 どれほど努力しても「まだまだ足りない」「こんなことで休んではいけない」と、常に自分を責め立て、追い立ててしまう。その終わりのない厳しさは、やがて心の潤いを根こそぎ奪い去り、心が深く病んでしまうケースも決して少なくありません。
自分自身に優しくなれない時、人は他者に対しても、そして自分自身に対しても、心を開く余裕を完全に失ってしまうのです。
神様が用意してくださる「心の余白」
私たちは、現代の効率や成果ばかりを求める社会の中で、知らず知らずのうちに自らを鞭打つ習慣を身につけてしまっています。しかし、真理の光に照らして見れば、それは造り主が私たちに望んでいる生き方ではありません。
聖書が語る神様の眼差しは、成績や効率で私たちを測る冷酷なものではありません。 神様は、猛暑の中を重い荷物を背負って歩く私たちに、「もっと早く歩け」と命じるのではなく、「木陰で少し休み、恵みの水で喉を潤しなさい」と招いてくださる方です。
自分に厳しすぎるがゆえに、疲れ切った心を誰にも見せられず、笑顔の裏で沈黙してしまう私たちに、ありのままの弱さを受け入れる「安らぎの余白」を無条件に与えてくださっています。自分を労わることは、与えられた命の尊さを認め、大切にすることそのものです。
冷たくて甘いオレンジマンゴーの味わいが、火照った身体に心地よく染み渡っていくように。自分に向けた「お疲れ様」という優しい許しの言葉は、確実に私たちの乾いた魂を潤し、再び立ち上がる力を与えてくれます。
立ち止まる勇気を
もし今、あなたが自分に厳しすぎる日々を送っているのなら。 どうか今日くらいは、立ち止まって深い深呼吸をしてみてください。あなたの心に、小さな「ご褒美」という名の恵みを注いであげてください。自分に優しくなれるその小さな勇気が、あなたの明日を照らす光となります。
今日も、共に前進です。
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