ただ「し続ける」という美しい使命
今朝の空気は、決して涼しいとは呼べないものの、息苦しさを感じるほどではない、夏の朝の気配をまとっていました。
まだ日差しが影を潜めている時間帯。その静けさの中を駆け抜け、今日は30キロの道のりを無事に完走することができました。しかし、ひとたび太陽が顔を出せば、空気は一変し、じりじりと肌を焦がすような厳しい暑さが容赦なく照りつけます。
真夏はやはり早朝のランニングが適していると身をもって感じますが、ふと街に目をやると、太陽が真上にある真昼の炎天下を走るランナーの姿を見かけることもあります。人はそれぞれ、自分の選んだ時間と向き合いながら、自分だけの道を走っているのでしょう。
「残り140キロ」という壁の前で
私が今月も自分に課している「8月も500キロを走る」という目標。
正直なところ、この厳しい暑さと疲労の中で、それは決して容易な道のりではありません。今日の30キロを終え、目標の500キロまであと残り140キロとなりました。
あと140キロ。見上げるような高い壁のようにも思えます。足の重さや息苦しさを前に、「もう十分ではないか」と立ち止まりたくなる瞬間が全くないと言えば嘘になります。それでも、私は最後まであきらめずに走り続けたいと願っています。なぜなら、走ることの中には、私の人生のすべてが凝縮されているように感じるからです。
- 走り続けること
- 祈り続けること
- 愛し続けること
- 語り続けること
そして、命が許される限り、生き続けること。
途切れない行為こそが「信仰」である
私たちはしばしば、劇的な結果や、一瞬の華やかな成功に目を奪われがちです。しかし、人間の本当の美しさと強さは、「し続ける」という地道で静かな連続の中にしか宿りません。聖書には、人生という道のりを走る私たちへ向けた、このような力強い励ましの言葉があります。
「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」(ヘブライ人への手紙 12:1)
忍耐強く走り抜くこと。それは、特別な才能や魔法のような奇跡を必要とするものではありません。 今日の一歩を踏み出すこと。途切れそうになっても、再び祈りの手を合わせること。不器用でも、大切な人に愛を注ぎ続けること。その「し続ける」という静かな決意そのものが、神様の目に映る最も尊い信仰の姿なのです。
日常の中にある、愛の延長線上
先ほど、ノアとの散歩を無事に終えることができました。彼と一緒に歩くこの穏やかな時間もまた、私に与えられた恵みであり、心からの感謝が溢れます。
そして今から、車のエンジンをかけ、仙台へ(ここも仙台市ですが・・・仙台中心街を言う場合、我が家では、他の家でもそうかもしれませんが、仙台と表現します。)と向かいます。アルバイトを終え、賄いの時間を過ごしている娘を迎えに行くためです。 30キロのランニングも、犬の散歩も、夜の街へ車を走らせて娘を迎えに行くことも。すべては「生き続けること」「愛し続けること」という、ひとつの真っ直ぐな道の上で繋がっています。
もし今日、あなたが目の前にある課題の大きさにため息をつき、立ち止まりそうになっているなら。どうか、結果を急がず、ただ「今日できること」を誠実に「し続けて」みてください。あなたのその静かな継続は、確実に誰かの心を温め、あなた自身の魂を豊かな場所へと運んでくれます。
今日も、共に前進です。
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