デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年8月25日火曜日

過去を脱ぎ捨てる32キロの道

 


静寂の朝に受け取る「新しい今日」

午前3時半。まだ世の中が深い眠りの底にある時間、私は静かに走り出しました。 早朝のランニングには、日中の騒々しさがなく、自分の内側と向き合い、深く思索にふけることができるという大きな利点があります。滝のように絶え間なく流れる汗を拭い、25キロ地点で自動販売機の冷たい水を喉に流し込みました。そこからさらに7キロの道程を踏みしめ、今朝は合計32キロのランニングとなりました。今朝は「日の出」まで走ってきました。

 


手放すことで開かれる「今」

その静寂に包まれた32キロの道のりで、私の心に深く迫ってきた思いがあります。それは、「過去」というものの取り扱い方についてです。

私たちは時として、過ぎ去った人生の過去に強く縛られ、昔の自分を手放せずに引きずりながら生きてしまうことがあります。 心に刻まれた深い傷や、取り返しのつかない失敗。あるいは反対に、かつて手にした輝かしい成功や栄光。

  • 過去は、すでに私たちの手が届かない領域です。
  • どんなに願っても、変えることも取り戻すこともできません。

私たちが自らの意志で介入し、変えることができるのは「今」と「未来」だけなのです。傷も、失敗も、そして過去の栄光さえも、すべて思い切って手放すこと。両手を握りしめるのをやめた時、私たちは初めて、神様から与えられた「新しい今日の人生」をしっかりと生きることができるようになります。

 


後ろのものを忘れ、前へ

聖書に、過去の重荷を脱ぎ捨てて「今」を生きるための、力強い真理の言葉があります。

「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピの信徒への手紙 3:13-14

神様は、私たちが過去の記憶という古い服を着たまま生きることを望んではおられません。今日という日は、まっさらな新しい命の舞台です。昨日までの自分を潔く十字架の前に置き、今日という光の中を、身軽になって走り出すよう招いておられるのです。

 


荒波の中を、自分のペースで歩む

走り終えた後は、明日の「婦人修養会」に向けた最終確認を行い、心身の休息の時を持ちたいと思います。とはいえ、日常の中で為すべきことが無くなるわけではありません。階段の掃除をし、会堂の除湿機タンクの水を捨てる作業、外の植木鉢のお花の水やりなど、午前中は妻をエマオまで車で送り届け、その帰りにロピアで買い物を済ませれば、今日の主な仕事は終了となります。

 


今日は、命の危険すら感じるほどの極暑日となります。昨日、車の中で娘に「明日は大人しく家で過ごした方がいいよ」と伝えると、本人も「今日は一歩も外には出ない」と頷いていました。さすがに愛犬のノアも、今日は涼しい家の中だけで静かに過ごします。

 


世界がどんなに激しい荒波を立てようとも、外の環境がどれほど厳しく不確かな状況にあろうとも。 私たちは今日、過去に心を奪われることなく、自分に与えられた目の前の道をただ淡々と歩み続けるのです。「生きること」。そのシンプルな営みの中にこそ、神様の深い恵みが宿っています。今日も、共に前進です。

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