デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年8月1日土曜日

43.24km完走

 


8月の雨と43.24キロの夜明け:「ただ生きる」という静かなる力

昨夜は、降りしきる雨の中を娘の迎えに出かけ、無事に家へと帰ってきました。 時計の針が重なり、日付が変わると同時に、新しい8月がひっそりと幕を開けました。

とりあえずベッドに横たわったものの、すぐには眠りにつくことができませんでした。しかし、いつの間にか微睡みの中に落ちていたようで、ふと目が覚めると午前3時。 暗闇の中で、心に小さな声が響きました。 「起きよう!!!」

静かに起き上がり、愛犬ノアとの散歩、そして祈りの時間を持ちました。 窓の外はまだ雨が降っています。休むことも一瞬頭をよぎりましたが、今日はなぜか「走りたい」という内なる衝動が強く、午前4時、雨の降る外の世界へと足を踏み出しました。

 


降りしきる雨の中、限界の先へ

濡れたアスファルトを蹴る音が、夜明け前の静寂に響きます。 雨に打たれながら走り進めるうちに、ふと身体の奥底から不思議な感覚が湧き上がってきました。 「今日は、結構走れるかもしれない」その直感に導かれるまま、ただひたすらに前へ、前へと足を運び続けました。 気がつけば、フルマラソンの距離すらも超え、43.24キロ。4時間。 81日という新しい月の初日に、雨のシャワーを浴びながら、これほどの距離を走り切ったのです。疲労よりも先に、胸の内に「なかなかいい感じだ」という深い充実感が広がっていました。

 


「生きる」という躍動の確かさ

なぜ、雨の中でフルマラソン以上の距離を走るのか。 その答えは、極めてシンプルで、深いところにあります。

「生きることです」

冷たい雨の感触、弾む息遣い、規則正しく脈打つ心臓の鼓動、そして大地を踏みしめる両足の重み。そのすべてが、「今、私はここに存在し、命を与えられている」という圧倒的な事実を証明してくれます。

予期せぬことが次々と起こるこの世界で、私たちにできるのは、頭の中で明日を思い煩うことではありません。神様から与えられたこの身体と心を精一杯に動かし、今日という一日を全身で「生き切る」ことなのです。

 


与えられた道を、忍耐と希望をもって

聖書は、私たちの人生の歩みを「走る」という行為に重ね合わせて、こう語りかけています。「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」(ヘブライ人への手紙 12:1

人生という道のりには、晴れの日もあれば、冷たい雨に打たれる日もあります。時には休みたいと立ち止まりそうになることもあるでしょう。 しかし、私たちの内には、困難な状況の中でも「よし、起きよう」「まだ走れる」と背中を押してくれる、聖なる息吹が宿っています。

 


43.24キロの道のりは、自分の力だけで走り切ったのではありません。一歩一歩、見えない力に支えられ、生かされているという恩寵の軌跡でした。

8月が始まりました。 この新しい一ヶ月も、雨の日も風の日も、ただ「生きる」という恵みを全身で味わいながら、一歩ずつ確かな足跡を刻んでいきたいと思います。



今日も、共に前進です。

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