デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年8月17日月曜日

今日はハーフマラソン

 


痛む膝と夜明け前の祈り:限界の先で「重荷を分け合う」21キロの足跡

午前1時前、まだ世界が深い眠りについている静寂の中で目を覚ましました。 病床にある教会員の方への手紙を静かに書き上げ、いつもの朝のルーティンワークを終えてから、午前3時ごろにランニングへと出発しました。

正直なところ、今日ばかりは「休むこと」も頭をよぎりました。昨日のフルマラソン完走による激しい疲労とダメージが、身体の芯にどっしりと居座っていたからです。

 


身体の正直さと、引き受けるべき使命

しかし、靴の紐を結び直したのは、今、病院のベッドで過酷なリハビリに必死に耐えている姉妹の顔や、病の痛みと闘っている兄弟姉妹たちの姿が心に浮かんだからです。 この暗闇と厳しい状況の中で、息を切らして走り、祈り抜くこと。それが今の自分に与えられた「使命」であると深く悟った以上、疲労を理由に休むわけにはいきませんでした。

とはいえ、身体はごまかしがきかないほどに正直です。 走り出して5キロ地点に差し掛かった時、膝に激しい痛みが走りました。一歩踏み出すたびに響く、昨日のフルマラソンの代償。たまらず歩きに切り替え、痛みが少し和らいではまた走り出し、そしてまた歩く。決して美しいとは言えない、不格好な前進の繰り返しでした。

それでも、祈るように足を進めるうち、10キロ地点を過ぎたあたりから、不思議と何かに背中を力強く押されるように再び走り続けることができるようになりました。結果として、今日はハーフマラソンを完走。痛みに負けず、途中で諦めることなく、最後まで走り切れたことに、深い感謝の念が溢れ出しました。

 


痛みを経て知る、見えない絆

歩いては走る、あの不格好で苦しい道のりは、まさに今、病床で痛みに耐えながら一歩一歩リハビリを進めようとしている兄弟姉妹たちの歩みそのもののように感じられました。

聖書に、私たちが共に生きるための大切な真理が記されています。

「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」(ガラテヤの信徒への手紙 6:2

私たちは、誰かの身体の痛みを完全に肩代わりすることはできません。しかし、遠く離れた暗闇の道で、自分の膝の痛みを噛み締めながら「彼らの痛み」に思いを馳せ、祈りを捧げることはできます。 痛みを避けて通るのではなく、痛みの中で祈るその汗と足音は、見えない霊的な絆となって、必ず病床にある友の重荷を下から支える力となります。私たちが苦難の中にある時もまた、誰かの祈りが私たちの見えない重荷を一緒に担ってくれているのです。

 


手触りのある日常を、精一杯に

今日から妻の仕事が始まり、私自身も、家族を送る日常の仕事が再開されました。 特別な日々から、手触りのある「いつもの日常」へと戻っていきます。

膝に残る確かな痛みも、流した汗も、共に祈り合える家族や教会の群れも。そのすべてに感謝しながら、与えられた今日という「今」を精一杯に生き抜くこと。それが、私たちが捧げることのできる最も美しい信仰の形です。

今日も、共に前進です。

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