焼き芋一口サイズを手にもっています。ノアは唾を流しながらじっと見ている。
呼吸と足音の重なる場所 ―― 走り始めて2年、「心と体」を整える日々
今日、ふと自らの歩みを振り返ったとき、一つの区切りに気づかされました。本格的にランニングを始めてから、2年の月日が流れます。
日々の道を駆け抜ける中で、体を通して学んだ確かな事実があります。それは、長く、そして速く走り続けるためには、「心肺機能」という内なるエンジンと、「足の支え」という物理的な土台、その両方が問題なく機能していなければならないということです。
息が続かなければ足は止まり、足が痛めば息を上げることもできません。これらを健やかに保つためには、日頃からそれぞれの役割に合った地道な練習とケアを積み重ねるほかないのです。この「呼吸と足音のバランス」は、私たちが日常を元気に、そして豊かに生き抜くための秘訣そのものだと深く感じます。
- キリスト者としての「両輪」
信仰を持つ者にとって、日々の「み言葉の黙想と祈り」は、魂に酸素を送り込む霊的な心肺機能です。しかし同時に、神様から与えられた器である「体の健康」を保つ足回りも欠かせません。このどちらかが欠けてしまうと、途端にバランスを崩し、人生の道を前へ進めなくなってしまいます。
- すべての人に共通する「心と体のケア」
これは信仰の有無にかかわらず、普遍的な真理です。私たちは時として、目に見える身体の健康(食事や運動)ばかりに気を取られ、目に見えない心の健康を後回しにしてしまうことがあります。あるいは、心ばかりをすり減らして、体を休めることを忘れてしまいます。
心と体は、決して切り離すことのできない人生の両輪です。 だからこそ、私たちはもっと自分の「内側」と「外側」の両方に、意識的なケアの手を差し伸べる必要があります。疲れた日には、体の筋肉をほぐすのと同じように、静かな時間を持って心の緊張もほぐしてあげること。見えない心を慈しみ、見える体を労わる。
その日々の小さな練習の積み重ねが、私たちの人生という長距離走を、より力強く、穏やかなものにしてくれるはずです。
その意味でも日曜日の礼拝のひととき――その約1時間は、やはり特別な意味を持つ時間だと思います。忙しない日常からそっと離れ、神様のまなざしの中でこれまでの歩みを振り返り、これからの人生を思い、祈り、御前に身を置く。その静かな営みこそ、次の一週間を力強く歩み出すための大きな支えとなることでしょう。
我が家の今晩のメニューはニラレバ炒めです。
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