デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年9月2日水曜日

今日も朝ラン30キロ完走

 


雨音と一人の足音、そして「家族」という名の恩寵

午前3時。昨日とよく似た空模様の下、静かな雨に打たれながらランニングをスタートしました。まだ誰も起きていない静寂の街。耳に届くのは、雨音と自分の足音だけです。

今日も目標は30キロ。少し筋肉痛が残っており、思ったようにスピードは上がりませんでしたが、今日は「タイムを気にせず自由に走ろう」と決めていたので、その感覚に身を委ねました。 しかし、ペースを落としたからといって走ることが「楽」になるわけではありません。常に一歩を踏み出し続ける自分との闘いです。どんな時も、諦めずに前へ進み続けること。それが長距離を走り抜く唯一の答えです。

 


饒舌なおばあさんと、娘の巣立ち

昨日、整形外科での実習(10日間)に励む娘が、受け持った患者さんのことを話してくれました。 詳細は伏せられていましたが、70代のとてもよく喋るおばあさんで、「私が一つ言うと100返ってくるのよ」と笑っていました。娘自身もよく話す明るい性格なので、「それは良かったな!」と声をかけました。娘がその持ち前の明るさで実習を通し、多くを学び、無事に経験を積んでくれることを祈るばかりです。

あと半年もすれば、娘もいよいよ独り立ちの時を迎えます。 親としては寂しさもあるのが普通かもしれませんが、正直なところ、私は彼女が自立していくことをとても嬉しく思っています。いつまでも親元にとどまるのではなく、自分の足で人生を歩み出してほしいと願っているからです。

現在、「大人になっても親と同居している人」の現状は次のようです。総務省の国勢調査(2015年)などをひもとくと、現在日本で親と同居している40代・50代の未婚者は約340万人に上ると報告されています。30代を含めればその数はさらに膨らみます。様々な事情があるとはいえ、社会構造の変化の中で「独り立ち」が非常に難しい時代になっているのは紛れもない事実です。 そうした現代社会の現実を思うとき、我が家がこうして順調に子どもの自立を迎えられることは、決して当たり前ではなく、深く感謝すべきことだと感じています。

 


「一人の自由」から「神が結んだ奇跡」へ

私自身は、高校時代からずっと一人暮らしをしてきました。 だからこそ、誰にも縛られない「一人のほうが自由で楽だ」という感覚を、骨の髄まで知っています。一人でいることの気楽さを知る私が、こうして妻を迎え、子どもを育て、家族という共同体を持っていること。それは自分の力や計画などではなく、ただただ「奇跡」としか呼びようがありません。聖書に「神は孤独な者を家に住まわせる」(詩編68編)という言葉があります。一人で生きるほうが楽だと考えていた不器用な私に、神様は「家族」という尊い絆を与え、誰かのために食事を作り、祈り、共に生きる喜びを教えてくださいました。これは間違いなく、神様の豊かな恵みです。

闇夜の街に響く一人の足音。 しかしその帰る先には、今、私の帰りを待つ家族がいます。やがて巣立っていく娘の背中を頼もしく見つめながら、私は今日もこの恵まれた奇跡の時間を、精一杯に生きていきます。今日も頑張って30キロ完走でした。感謝。

今日も、共に前進です。

2026年9月1日火曜日

人生のペースメーカー

 


息遣いを合わせる方——人生の長距離走と、見えないペースメーカー

ランニングの大会に出場すると、風を切って走る集団の中に、風船やゼッケンをつけた「ペースメーカー」の姿を見かけることがあります。

彼らの役割は、単なる「動く時計」ではありません。苦しくなる区間で選手と並走しながらペースを微調整し、絶妙なタイミングで給水を手渡し、何よりも心が折れそうになる瞬間に「大丈夫、その調子」「ここからだよ」とメンタルを支え続ける、極めて献身的で重要な存在です。彼らが隣にいてくれるだけで、ランナーはどれほど計り知れない安心感を得ることでしょう。

 

日常の中の「給水所」

今日、私はドン・キホーテとロピアへ足を運び、両手にたっぷりと買い物を済ませてきました。これからキッチンに立ち、まな板に向かいます。新しい環境での実習に必死に食らいついている娘のため。そして、日々の仕事の重圧の中で懸命に働く妻のため。彼女たちが今日という一日を無事に走り切れるように、美味しくて温かい料理を作ります。

家族のために食事を作り、帰りを待つこと。それは、彼女たちが走るそれぞれの人生のコースにおいて、私なりの「給水」であり、無言のペーシング(励まし)なのだと思います。

 

最高のペースメーカーと共に

しかし、支える側である私たち自身が息切れし、上り坂の途中で足が止まりそうになる時はどうでしょうか。 私たちの人生という、時に孤独で過酷な長距離走には、決して私たちを見捨てない「最高のペースメーカー」が並走してくださっています。

それが、イエス・キリストです。

主は、はるか先のゴール地点から「早く来い」と腕組みをして見下ろしているような方ではありません。私たちが走る泥まみれの生活道路に自ら降り立ち、その土埃の中で、私たちの隣を走ってくださる方です。

  • 歩幅を合わせる: 私たちの心が悲しみで重く、ペースが落ちてしまう時、主は決して私たちを急かさず、その遅い歩幅に静かに合わせてくださいます。
  • 命の水を渡す: 乾ききった心には、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」と、魂を潤す恵みを手渡してくださいます。
  • 絶え間ない励まし: そして、孤独に押しつぶされそうな夜には、「恐れるな、わたしが共にいる」と、呼吸を合わせながら耳元で励まし続けてくださるのです。

私たちが今日、困難な道を投げ出さずに走り続けられるのは、ご自身の命をかけて私たちの伴走者となってくださった方がいるからです。

この確かな足音が隣にある限り、私たちは何度でも顔を上げることができます。 さあ、見えない最高の伴走者の愛に包まれながら、私は目の前の家族のために、心を込めて火を灯し、料理を作りましょう。

今日も、共に前進です。

朝ラン30キロ完走

 


恵みの雨と30キロの足跡、ただ「家族だから」という愛の真理

今日から9月。新しい季節の幕開けは、午前141分の静寂の中で始まりました。

走る前のルーティンワークを静かに整え、午前3時、まだ深い暗闇の中へと駆け出します。今日は久々に、太白山の方へと向かうコースを選びました。 頭に点したヘッドライトの細い光だけを頼りに一歩一歩を重ねていると、やがて空から雨が降り始めました。それは決して冷たい障害などではなく、火照る体を優しく冷やしてくれる、非常に心地よいシャワーランとなりました。

今日から定めた新たな目標。それをしっかりと見据えながら、30キロを無事に完走しました。新しい月の始まりに降る雨は、次なるステージへの歩みを祝福してくれる恵みのようにも感じられました。

 


「いつも通り」という名の、最も尊いサポート

私がこうして新しい目標に向かって走るのと同じように、家族もまた、それぞれの道を懸命に走っています。 娘は今日も実習という学びの現場へ向かい、妻もまた自らの仕事へと出かけていきます。それぞれの場所でひたむきに頑張る姿を思うとき、私の心には深い感謝が湧き上がってきます。

彼女たちに対して、私ができることは何でしょうか。

  • 特別な魔法や、大げさなサポートがあるわけではありません。
  • いつものように車で送り迎えをすること。
  • 帰りを待って、美味しい料理を作って食卓に並べること。
  • 今日は妻を送った帰りに、ドン・キホーテとロピアに立ち寄り、日々の生活に必要なものを買い揃えること。

言葉にすれば、ごく当たり前の「日常の風景」に過ぎません。しかし、この地道な日々の支え合いの中にこそ、私たちの命を温め、前へ進む力を生み出す本質が宿っているのです。

 


ただ「家族だから」という無条件の光

なぜ、私たちは見返りを計算することなく、目の前の人のために食事を作り、車を走らせることができるのでしょうか。

「理由は、家族だからです。ただそれだけです。」

この「ただそれだけ」という思いの裏には、実はとてつもなく深い真理が隠されています。条件付きの愛(「〇〇をしてくれるから愛する」「役に立つから大切にする」)は、状況が変わればもろくも崩れ去ってしまいます。しかし、「ただ家族だから」という理由は、どんな不条理や嵐がやって来ても決して揺らぐことのない、最強の土台なのです。

聖書が教える神様の愛もまた、同じ響きを持っています。私たちが何か立派なことを成し遂げたからではなく、ただ「私の子だから」という無条件の愛で、いつも私たちを包み、日々の糧を与えてくださっています。

 


目の前の人を、ただ大切に生きる

どこか遠くに、特別な意味を探し求める必要はありません。今日、目の前にいる家族を大事にして生きる。美味しいご飯を作り、買い物をし、「いってらっしゃい」と背中を見送る。その繰り返される小さな営みこそが、最も確かな希望の形です。

9月の雨の朝、30キロの道のりを真っ直ぐに照らしたヘッドライトのように。 今日も、自分の手の届く範囲の日常を、愛をもって温かく照らしながら歩みましょう。

今日も、共に前進です。