雨音と一人の足音、そして「家族」という名の恩寵
午前3時。昨日とよく似た空模様の下、静かな雨に打たれながらランニングをスタートしました。まだ誰も起きていない静寂の街。耳に届くのは、雨音と自分の足音だけです。
今日も目標は30キロ。少し筋肉痛が残っており、思ったようにスピードは上がりませんでしたが、今日は「タイムを気にせず自由に走ろう」と決めていたので、その感覚に身を委ねました。
しかし、ペースを落としたからといって走ることが「楽」になるわけではありません。常に一歩を踏み出し続ける自分との闘いです。どんな時も、諦めずに前へ進み続けること。それが長距離を走り抜く唯一の答えです。
饒舌なおばあさんと、娘の巣立ち
昨日、整形外科での実習(10日間)に励む娘が、受け持った患者さんのことを話してくれました。
詳細は伏せられていましたが、70代のとてもよく喋るおばあさんで、「私が一つ言うと100返ってくるのよ」と笑っていました。娘自身もよく話す明るい性格なので、「それは良かったな!」と声をかけました。娘がその持ち前の明るさで実習を通し、多くを学び、無事に経験を積んでくれることを祈るばかりです。
あと半年もすれば、娘もいよいよ独り立ちの時を迎えます。 親としては寂しさもあるのが普通かもしれませんが、正直なところ、私は彼女が自立していくことをとても嬉しく思っています。いつまでも親元にとどまるのではなく、自分の足で人生を歩み出してほしいと願っているからです。
現在、「大人になっても親と同居している人」の現状は次のようです。総務省の国勢調査(2015年)などをひもとくと、現在日本で親と同居している40代・50代の未婚者は約340万人に上ると報告されています。30代を含めればその数はさらに膨らみます。様々な事情があるとはいえ、社会構造の変化の中で「独り立ち」が非常に難しい時代になっているのは紛れもない事実です。
そうした現代社会の現実を思うとき、我が家がこうして順調に子どもの自立を迎えられることは、決して当たり前ではなく、深く感謝すべきことだと感じています。
「一人の自由」から「神が結んだ奇跡」へ
私自身は、高校時代からずっと一人暮らしをしてきました。 だからこそ、誰にも縛られない「一人のほうが自由で楽だ」という感覚を、骨の髄まで知っています。一人でいることの気楽さを知る私が、こうして妻を迎え、子どもを育て、家族という共同体を持っていること。それは自分の力や計画などではなく、ただただ「奇跡」としか呼びようがありません。聖書に「神は孤独な者を家に住まわせる」(詩編68編)という言葉があります。一人で生きるほうが楽だと考えていた不器用な私に、神様は「家族」という尊い絆を与え、誰かのために食事を作り、祈り、共に生きる喜びを教えてくださいました。これは間違いなく、神様の豊かな恵みです。
闇夜の街に響く一人の足音。 しかしその帰る先には、今、私の帰りを待つ家族がいます。やがて巣立っていく娘の背中を頼もしく見つめながら、私は今日もこの恵まれた奇跡の時間を、精一杯に生きていきます。今日も頑張って30キロ完走でした。感謝。
今日も、共に前進です。