2022年7月17日日曜日

面倒くさいけど生きなければならない

 だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。』(マタイによる福音書6章9~13節)

 


今日も無事に礼拝が終わり、静かな時(?)が与えられ感謝。

小さな子供がいる家庭では静かな時というのは子どもたちが皆眠りについている時かもしれないが・・

中には一年365日毎日静かな時を過ごしている人々もいる。

唯一相手になるのはテレビやラジオをつけている時だけ・・・・・

ペットでもあれば話し相手になるかも知れないが・・・・それも楽ではない。

何かしら世話をしなければならないからだ。

だからこの世で生きることは楽ではない。

生きるための力が必要である。

しかしその前に生きる意味を知ることが生きるための力につながることは否定できない。

生きる目的、生きる意味、生きる価値・・・・・・

あ~面倒くさい!と考える人々もいる。

ただ生きればいいさ!と言う。

それじゃ人間と獣と違わないことになる。

 


人間としての生き方があるからだ。

少なくとも周りの人々を傷つけない。

迷惑をかけない。

自分の欲のために家族を、周りの人々を犠牲にさせないことである。

しかし人々を傷つけ、迷惑ばかりかけ、自己欲と夢のために周りを犠牲にしてしまうケースが少なくない。何と不条理な世界だろう・・・この世界は。

 


この不条理な世界での人生が200年、300年、500年、1000年、10000年まで続かないことに感謝している。だから真の国を求めざるを得ない。それが神の国であると聖書は教えている。それを信じて生きている。これも大きな恵みである。理性では到底理解できないことが信じるようになるのは奇跡であるかも知れない。これで良いと自分が思えばよい。それは責任も伴うYESである。結果を受け入れられるYESである。ランチの後、週報投函と散歩。大年寺山公園に上って、愛宕神社、広瀬橋ルートの散歩であった。

 


明日は?明日は明日に任せる。自分は今日の一日を最後まで精一杯に生きることだ。目の前にいる家族を愛し、精一杯に最善を尽くして奉仕することである。今日は、朝はフレンチトーストを作り、礼拝後はランチで冷やしそばを作り、夕食は鶏の胸肉を使った一品料理を作った。感謝。K長老が持ってきてくれたビールを飲んで休もう!!!

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