いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケの信徒への手紙一5:16-18)
Rejoice evermore.Pray without ceasing.In
every thing give thanks: for this is the will of God in Christ Jesus concerning
you.(1 Thessalonians 5:16-18)
Seid allezeit fröhlich,betet ohne Unterlaß,seid
dankbar in allen Dingen; denn das ist der Wille Gottes in Christo Jesu an euch.(1
Thessalonicher 5:16-18)
いつも喜ぶことが出来るだろうか?
休まずに祈ることが出来るだろうか?
すべての状況の中でも感謝することが出来るだろうか?
これらの疑問と問いに対して聖書は何も答えない。そもそも答える意図も見いだせない。
なぜなら聖書は人間の意見を求めないからだ。
天地創造の神様が、全知全能なる神様が、罪深い、愚かな人間の意見を求める自体がナンセンスである。だからそれでいいんだ。それがいい。そうするべきである。ただ罪深い、愚かな人間を神様は愛するという事実、これこそナンセンスだろう?でもこれは事実である。だから我々人間の知識では到底神様を理解することができない。ただその愛を受け入れればいい。
昨日は20キロランニングをクリアした。感謝。
ついに欲しがっていたバックパックを買った。しばらくはこのバックでサンティアゴ祈りの旅に出かけることにした。今度もこれで行く。
今日も最後まで主の栄光のために精一杯に生きる。ハレルヤ!生きる。
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