水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず/炎はあなたに燃えつかない。(イザヤ書43:2)
When thou passest through the waters, I
will be with thee; and through the rivers, they shall not overflow thee: when
thou walkest through the fire, thou shalt not be burned; neither shall the
flame kindle upon thee.(ISAIAH 43:2)
Denn so du durch Wasser gehst, will ich bei
dir sein, daß dich die Ströme nicht sollen ersäufen; und so du ins Feuer gehst,
sollst du nicht brennen, und die Flamme soll dich nicht versengen.(JESAJA 43:2)
誰かが共にいてくれる。ありがたいと思うが、時には面倒臭いと感じる時もあると人は言う。あるいはいざっという時に傍にいてほしいと思う人がいない場合もある。要は共にいてくれる人が誰であるかが問題である。別にいてもいなくてもどうでもいい人がいれば、必ずいてほしいと思う人が存在する。
その意味でもインマヌエルの神様に感謝したい。またそういう神様をパパと呼んでいる人は幸せである。にもかかわらずその父なる神様を、たまに会う近所のおじいさんのように考えるキリスト者が少なくない。常に良い関係を保つ秘訣は日頃のコミュニケーションである。父なる神様との関係を正しく、さらに深めるためには日々の祈りとみ言葉の生活が欠かせない。それはキリスト者が生きるための日々の糧でもある。頭ではなく、実践によってその恵みを味わい、より豊かな人生を生きることが出来るのである。今日も主の恵みの日を送るべし。
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