だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。(コリント二4:16)
For which cause we faint not; but though
our outward man perish, yet the inward man is renewed day by day.(2 CORINTHIANS
4:16)
Darum werden wir nicht müde; sondern, ob
unser äußerlicher Mensch verdirbt, so wird doch der innerliche von Tag zu Tag
erneuert.(2 KORINTHER 4:16)
二者択一という言葉がある。しかしどちらも大事な場合がある。それが今日の聖書のみ言葉が伝えている「外なる人」と「内なる人」である。かつてグノーシス主義者たちは外なる人、つまり、肉体などの物質は救いに対してまったく役に立たず、罪の塊、悪の存在であると見なしていた。
しかし聖書は究極的には霊の救いを語っているが、だからといって身体は重要でないとは言っていない。むしろ大事であると教えている。だから主イエスは病気の癒しと共に飢えている者たちを食べさせ、飲ませてくださった。そのために奇跡も行ったのである。さらに主イエスの復活が語っているように身体の甦りを示し、それを使徒たちは使徒信条の中で明確に示している。・・・「身体の甦り」・・・・・
ただ、あえて言えば霊のために体が存在し、体が霊を支えることもあることだ。信仰生活はまさにこの二つの共同生活であり、人生最後まで続けられるパートナーである。だから健康のためにも力を注ぐことが大事である。しかし多くの場合、このバランスが崩れた形で信仰生活を行うキリスト者たちは多い。つまり、主に身体中心の生活をしていることだ。だから健康な信仰生活が出来ず、バランスが崩れた形で信仰生活を送り、そのために真の喜び、自由と平和を味わえず、肉に縛られた生活を送っている。身体は大事であるが、しかしまず霊的な生活を優先して生きるべきである。それが心身共々元気で、健康な信仰生活のためのカギとなる。
肉の糧より、まず霊の糧を、・・・・・
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