「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。(マタイ7:21)
Not every one that saith unto me, Lord,
Lord, shall enter into the kingdom of heaven; but he that doeth the will of my
Father which is in heaven.(MATTHEW 7:21)
Es werden nicht alle, die zu mir sagen:
HERR, HERR! ins Himmelreich kommen, sondern die den Willen tun meines Vaters im
Himmel.(Matthäus 7:21)
今日も生きる。
主の御心を行うことを第一の事として受け止めて生きることである。人が何をやろうが、時は流れる。その時は人々が歩んだ道を消すのではなく、残す役割をする。そして神様に報告する。最後の審判の時にはそれぞれ自分が歩んだ道が公にされそれに対する報いが与えられる。
主なる神様は愛の神様であるが、同時に正義の神様であることを忘れてはならない。必ず不義は罰せられることだ。これを恐れる事はない。罰せられる罪は赦されたからだ。信仰によって我々は義の審判を受けることになる。ここに真の希望がある。
まず神の国と神の義を求める人生は本当に自由であり、豊かな人生となる。これが分かった人のみ、神様の恵みの下で幸せに生きることが出来る。生きても死んでも主のために。ここに何一つ思い煩いが、心配ことが、悩みが、不安が入る余地はない。真理が自由にするからだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿