2023年4月20日木曜日

わたしの軛を負い

 


わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、

あなたがたは安らぎを得られる。(マタイによる福音書1129節)

Take my yoke upon you, and learn of me; for I am meek and lowly in heart: and ye shall find rest unto your souls.(MATTHEW 11:29)

 


二頭の牛がくびきを負って畑を耕す時に二頭のうちどちらかがリードするか、あるいは一心同体になって一緒に動くかによって正しく畑を耕すことができるようになる。上記の二つの条件の内、どちらがしやすくなるのか?どっちになるのが確立が高いか?また楽なのか?

誰かがリードになって導き、あとはついて行くだけのほうが遥かに楽であり、問題なく最後までちゃんと耕すことができるのである。一心同体は長く続かないし、不可能であるからだ。

 


上記の聖書は各自自分のくびきを負うとは言わず、わたしのくびきであると明言している。

イエス・キリストのくびきである。そのくびきの中に自分の首がかけられてさえあればあとは主が導く方向へとついていくだけのことである。これがすべてがまんべんなく執り行われ、人生が進まれる道である。しかし人々は反対のことをしている。つまり、自分のくびきにイエス様の首を入れて自分がリードして行く人生を生きている。そのために人生の畑はまっすぐに耕さず、また障害物にぶつかり、それで苦しみ、痛み、悩みの日々が続くのである。

 

それらの苦しみと悩みから解放される道は、一つだけである。早くくびきのリードを変えることだ。自分のくびきを捨てて、イエス様のくびきに素直に首を入れて、イエス様をリードにし、自分はついていく立場になること、これが一番の道である。主は導いてくださる牧者であり、わたしたちは羊である。羊が生きるためには羊飼いに従うことのみである。幸せとは主が導いてくださる道から離れず主に従って行くことである。今日も主の御言葉に従って歩む一日でありますように・・・・ハレルヤ!アーメン。

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