神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。(コヘレトの言葉3:11)
He hath made every
thing beautiful in his time: also he hath set the world in their heart, so that
no man can find out the work that God maketh from the beginning to the end.( Ecclesiastes 3:11)
すべての事柄や出来事には「時」があるという。全能者によって定められた「時」である。しかし、その「時」を我々人間は知らないという。生まれる時、死ぬとき、花が咲くとき、散る時、種を蒔くとき、収穫する時などが定められている。人間はこの「時」を気にしすぎて自分の人生を正しく生きることができない。なぜなら「時」ばかり考えるからだ。
大事なのは与えられた「今」を精一杯に生きることである。そうする内に「時」は自分の味方になる。与えられた「時」は必ず過ぎ去り、そして新しい「時」が訪れる。問題は自分に与えられた「時」をどう用いるかである。どのように使うかによって「時」は自分の味方となり、敵ともなる。つまり、成功する人生のカギは「時」の持ち方である。神様は公平に毎日24時間という「時」を皆に与えてくださる。
今日も新しい「命」と共に新しい「時」が与えられた。主の栄光のために精一杯に生きることである。実は自分に与えられた「時」は神様の栄光のために用いるための「時」である。
自己満足のために、飲み食いするために、快楽のために与えられたのではない。神様のために、そして人々のために用いるために与えられた「時」であることを忘れてはならない。
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