神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された。(詩編66:10)
For thou, O
God, hast proved us: thou hast tried us, as silver is tried.(PSALMS 66:10)
生徒さんに聞くと、一番嫌いなのはテストだという。
確かにテストは好きではない。でもテストによって自己能力を知り、力が増すための機会になるのも事実である。人には限界がある。しかし自分の限界がどこまでかを知る人は案外知らない。なぜならそれが本当に分かるまで努力をしないからだ。自分の能力は自分も分からないかも知れない。死ぬほど勉強をしたことがないので限界が分からない。つまり、自己能力はどこまで耐えられるのかにかかっている。その意味でも出来ない人はいないかも・・・
ただやらないだけ、努力しないだけ、忍耐力が足りないだけのことである。でもこれが大事である。努力する事、忍耐する事、やる気を引き起こす事・・・・
信仰も似たような部分がある。
信仰が試されないと自分の信仰は本物かどうかが分からない。平和の時には信仰が分からない。でも突然苦難が襲ってきた時にようやく自分の信仰がどういうものかが試される。そこで人によって信仰が強められるか、あるいは捨てるかが決まるのである。実際に試練に耐えられて信仰が強くなった人がいれば、信仰することを止めて教会から離れ去る人がいる。
その主な要因は自分の知恵と力で信仰生活をしようとする人は試練に出会うと教会から離れ去るが、聖霊に頼って信仰生活をする人は試練に耐えられ、最後まで教会に留まるのである。そもそも試練は愛する子供の信仰が強められるために神様が許すことである。その受け止め方によって最後まで耐えられるようになる。
神様は愛の神様である。愛するがゆえに試練を許すのである。
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