2023年5月28日日曜日

神を畏れ敬う

 1【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。歌。】2神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように〔セラ3あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。4神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって/あなたに感謝をささげますように。5諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように/あなたがすべての民を公平に裁き/この地において諸国の民を導かれることを。〔セラ6神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって/あなたに感謝をささげますように。7大地は作物を実らせました。神、わたしたちの神が/わたしたちを祝福してくださいますように。8神がわたしたちを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで/すべてのものが神を畏れ敬いますように。(詩編67編)

 


不思議にも人間だけは食べることや飲むことや着るもの、住まいなど生きるための基本的な条件が満たされても心にぽっかりと穴が空いているような感じがする時がある。すべてが満たされても満たされないのが人間である。なぜなら人間は獣と違って永遠を思うように造られた存在であるからである。聖書がそのように教えている。だから時々満たされない自分に気づき、憂鬱な気分になるのである。その意味でも信仰生活は大事である。

 


変わりなく走り、掃除をし、買物や説教準備や料理をして一日を過ごしている。感謝。

この変わりない日頃のルーティンワークが重要である。そしてそれを感謝して生きるのが大切である。日頃の感謝を忘れると不平不満が顔を出す。そして周りで起こる物事をネガティブに考え、結局、イライラする自分に出会い、周りの人々まで嫌な気分にさせるのである。

 


良い事が一つもないと言う人がいる。良い事はいかに自分が良いように生きるかにかかっていることであって自然に訪れるものではない。同じ事柄を、同じ出来事をどう見て、どう受け止めるかによって幸福も不幸も味わうことが出来るのである。どうせ生きるならば幸福を選んで、そのように受け止め、考えて生きるべきである。

 


習慣は第二の天性なり。良い考え方を習慣化することが大事である。自分のために。

 


先日から25キロの朝ランを行っている。これも慣れるまでが大変で、慣れれば大変なことでもない。しかし慣れるまではきつい訓練が必要である。それを乗り越えるかどうかがカギとなる。苦しみを楽しみとして受け止めて生きる事も出来る。何でもできるかも知れない。

悪いこと以外には善い事は何でも行うべし。人々が喜ぶことを行う事も重要である。共に生きるために。

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