中国で宣教師として働いていたイギリスのハドソン・テーラーは、中国内陸での宣教活動中に多くの仕事に圧倒され、誰か助けてくれる人を求めていました。しかし、しばらくの間は一人でその重荷を担わなければなりませんでした。肉体的な疲労と精神的なストレスが重なり、神経症になるほどでした。「なぜ自分一人でこの多くの働きをやらなければならないのか」とつぶやく日々が続きました。
そんな中、ある日、彼は御言葉を黙想していると、重要な真理に気づきました。彼が黙想していたのは、ヨハネによる福音書15章5節の言葉です。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」彼はその場で膝をつき、自分の信仰の弱さや不平不満に満ちた態度を悔い改めました。
枝は木の根から供給される水分と栄養を受けるだけで十分なのに、彼はこれまで自ら悩み、つぶやいていたことを心から懺悔しました。人生の中でのあらゆる苦しみや悩み、将来への不安をすべて神様に委ねる信仰が求められています。神様は私たちが100%委ねるときに働いてくださいますが、自分の力で行おうとしたり、自分の経験や知識で問題を解決しようとすると、神様からの助けはなかなか得られません。神様は、私たちがすべてを委ねるのを待っておられるのです。
神様は、様々な問題や悩み、苦しみを父である御自分に話し、委ねる子どもを喜ばれます。私たちの父である神様は、独り子イエス・キリストを私たちのために惜しまず十字架に引き渡し、永遠の命を与えてくださった方です。使徒パウロも言っています。ローマの信徒への手紙8章32節には、「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」とあります。
神様は私たちのために良いものを与えてくださる方ですが、それを得るためには100%神様を信頼し、その御言葉に従って生きる必要があります。赤ちゃんが完全に母親に自分を委ねるように、私たちも神様に完全に委ねる人生を生きるべきです。赤ちゃんが母親に自分を委ねる理由は、生きるためにそれしか方法がないからです。完全に委ねるとき、母親は必要なものを与え、元気に育ててくれます。私たち信仰者も同様に、父である神様にすべてを委ねて生きるとき、真の平和と喜びを得ることができます。神様に全てを委ねる人生を歩んでいきましょう。疑わずに完全に信頼し、本気で神様に全てを委ねて、残りの人生を賭けてみましょう!
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