2025年1月24日金曜日

真の幸福

 


"Beyond Material Success - The Parable of True Wealth"

『富の真意を問う - 物質的成功を超えた豊かさ』

 

こう自分に言ってやるのだ。さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめと。しかし神は、愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか、と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。(ルカ12:19-21

 

今日の経済優先社会において、成功の指標として富の蓄積が重視される中、イエスの語った金持ちのたとえ話は鋭い問いを投げかけています。この金持ちは、当時のイスラエルという農業に適さない環境の中で、卓越した経営能力を発揮し、成功を収めた人物でした。

 

彼の成功は三つの優れた知恵に基づいていました。経営の知恵による豊作、管理の知恵による財産の保全、そして消費と享楽の知恵による人生の享受です。世俗的な観点からすれば、これらは賞賛に値する成功の要素と言えるでしょう。

 

しかし、主はなぜこの「成功者」を「愚かな者」と呼ばれたのでしょうか。その理由は、彼の人生における二つの決定的な欠落にありました。第一に、全ての恵みの源である神への感謝の欠如です。イスラエルの厳しい自然環境下での農業の成功は、適切な雨という神の恩寵なしには考えられません。しかし、彼はこの根本的な事実を認識していませんでした。

 

第二の欠落は、隣人への視点の欠如です。当時の社会には多くの貧困者が存在していたにもかかわらず、彼の視野には入っていませんでした。豊かな財産を持ちながら、それを分かち合う意識を持たなかったのです。

 

この金持ちの根本的な問題は、魂の本質的な価値を見失っていたことにあります。お金は生活の必需品ですが、神から離れると、それは手段から目的へと変質し、偶像となります。彼は富が人生の全てを保障すると考え、それを偶像としたのです。

 

この姿勢は、現代社会にも深く浸透している価値観と重なります。物質的な富を全ての価値基準とする考え方は、利己主義、過度な競争、人間関係の破壊、快楽主義、そして究極的には神との関係の喪失をもたらします。

 

彼は一時的な快楽と真の幸福を取り違えました。この二つは似て非なるものです。快楽は一時的な満足をもたらすかもしれませんが、真の幸福は神との関係の中にこそ存在するのです。命の与え主である神を忘れることが、最大の不幸の原因となったのです。この物語は、現代を生きる私たちに、真の豊かさとは何かを問いかけています。最も大切な命を与えられた存在として、私たちは神を覚え、その恵みに感謝しつつ生きることが求められているのです。

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