2025年1月16日木曜日

待ち望む

 


"The Red Cord of Promise - Rahab's Faith and Our Waiting"

『約束の赤い紐 - ラハブの信仰と私たちの待望』

 

主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い/わたしは主を待ち望む。主に望みをおき尋ね求める魂に/主は幸いをお与えになる。主の救いを黙して待てば、幸いを得る。(哀歌3:24-26) 

 

エリコの城壁に結ばれた一本の赤い紐は、信仰と希望の象徴として今日も私たちに語りかけています。異邦人の女性ラハブは、周囲の人々が恐れと不安に支配されている中で、驚くべき信仰の告白をしました。「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられる」という彼女の言葉は、真実の神への確信に満ちていました。

 

イスラエルの偵察者たちとの約束は、単なる命の保証以上のものでした。窓辺に結ばれた赤い紐は、救いを待ち望む希望のしるしとなりました。しかし、その待機の期間は決して容易なものではなかったはずです。日々色あせていく紐を見つめながら、約束の確かさを疑う思いと、信じ続けようとする決意との間で揺れ動いたことでしょう。

 

特に困難だったのは、イスラエル軍が7日間もの間、城の周りを行進するだけで実際の攻撃を開始しなかった時期だったはずです。自分の選択が正しかったのか、民族への裏切りは許されることなのか、深い葛藤があったに違いありません。しかし、色褪せた赤い紐は、なお神の約束を思い起こさせる確かなしるしとして、彼女の信仰を支え続けました。

 

最後まで信仰を保ち続けたラハブの報いは、想像をはるかに超えるものでした。彼女は単に命を救われただけでなく、メシアの系図に連なる栄誉ある存在となったのです。これは、神の計画の驚くべき深さを示しています。異邦人である彼女がこのような栄誉に与ったのは、約束を信じて最後まで待ち続けた信仰のゆえでした。

 

この物語は、現代を生きる私たちにも深い示唆を与えます。キリストの再臨と最後の審判を待ち望む私たちにとって、ラハブの信仰は模範となります。私たちの待望は、裁きへの恐れではなく、義への希望に基づくものです。それは、神の約束を信じて最後まで忠実に生きることへの招きなのです。

 

時には疑いや不安が私たちを襲うかもしれません。しかし、ラハブの赤い紐のように、私たちには信仰を支える確かなしるしが与えられています。それは、十字架という永遠の約束のしるしです。この約束に信頼して、私たちも最後まで忠実に待ち望む群れとなることが求められているのです。

 

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