"The Call to Arms: Spiritual
Training for the Christian Soldier"
「軍の召命:クリスチャン兵士のための霊的訓練」
1985年3月、韓国人男性としての義務である兵役の日がついにやってきました。約2週間の身体検査と教育を経て、私たちはそれぞれの部隊に夜間、密かにバスで移動します。仲間たちは興味津々でありながら、不安な表情を浮かべています。到着するまで自分の部隊名は知らされず、数十台のバスが私たちを待っていました。私が乗ったバスは、他の5台と共に出発しました。夜の闇の中、何時間も走り続け、少しずつ夜が明けてきました。山道を走ると、所々に白い骸骨のマークが見え始め、思わず身震いしました。それは厳しい訓練で知られる「白骨部隊」だったからです。
約360人の仲間たちが訓練所に到着すると、バスが止まるやいなや、赤い帽子をかぶった教官の怒鳴り声が響きました。「速く降りろ!」と叫ぶ声に、皆は慌ててバスから下りていきます。6週間の厳しい訓練は、あっという間に過ぎ去りました。毎日、過酷な訓練に追われ、余計なことを考える暇もありませんでしたが、私はポケットに入れていた新約聖書をトイレに行く際に少しずつ読むことができました。
この訓練期間中は、本を読むことは許されていませんでしたが、聖書を通じて心の支えを得ていました。この6週間は、私にとって新たに生まれ変わる期間でもありました。甘い社会生活を脱ぎ捨て、新しい生活に慣れるために必要不可欠な時期だったのです。訓練が終わり、私を含む15人が特殊部隊に配属されました。そこは北朝鮮と最も近い最前線、DMZと呼ばれる地域でした。訓練は6週間で終わったわけではなく、新しい環境に適応するためにさらに2週間の訓練が必要でした。その後、私たちは2人ずつ新部隊に配属され、約1週間の訓練と教育を受けました。
訓練の重要性とその意味
配属された中隊は約100人で構成されており、さらに小隊に分かれて1週間の訓練を受けました。なぜこれほど多くの教育と訓練が必要なのか、当初は疑問に思いましたが、実際に作戦や実務を経験する中で、その必要性を痛感しました。それは自分の命、そして仲間の命に関わることだからです。少しでも油断すれば、自分の命はもちろん、隣の仲間の命まで奪われる可能性があるのです。実弾や手榴弾を携帯して作戦に臨むため、訓練の重要性は身に染みて理解できました。私がいた3年間、多くの仲間たちが命を奪われましたが、訓練を受けた通りに行動すれば大丈夫でした。聖書は私たちキリスト者を主の兵士に例えています。兵士にとって最も必要なのは、日々の訓練です。それは主が再び来られる日まで続けられるのです。私たちが持つべき武器は、御言葉と祈りです。そして、その訓練が行われる場所が教会です。
教会における信仰の訓練
各自が信仰の訓練を行うことができれば理想ですが、実際にはそれが難しいこともあります。私たちの魂が常に元気でいるためには、礼拝と祈祷会を充実させることが不可欠です。これらの集まりは、私たちが霊的に成長し、主に仕えるための基盤を築く場です。訓練を怠ると、私たちの信仰は衰え、教会全体の活力も失われてしまいます。私たちが信仰の兵士として立ち上がり、主のために戦うためには、日々の訓練が必要です。礼拝と祈祷会を通じて、私たちは互いに励まし合い、成長し続けることができるのです。これからも、私たちの信仰生活を豊かにし、教会を活気づけるために、共に努力していきましょう。
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