"Life
and Death in the Lord - The Promise of Resurrection"
『主にある生と死 - 復活の約束を生きる』
わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。(フィリピ1:9-11)
「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬ」というパウロの言葉は、キリスト者の人生観の核心を表しています。死は、あらゆる人間に平等に訪れる現実であり、富める者も貧しい者も、健康な者も病める者も、高位な者も低い者も、同じ運命に直面します。
ヘブライ人への手紙が語るように、「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」のです。しかし、キリスト教信仰において、死は終わりではなく新たな始まりを意味します。この真理は人間の理性を超えた神の秘められた計画の一部です。
エフェソ書が示すように、この計画は「世の初めから隠されていた」ものでしたが、キリストを通して明らかにされました。その中心にあるのは、キリストによる救いと永遠の命という約束です。この約束は、特に聖餐式を通して私たちに繰り返し確認されます。
子どもが親の約束を何度も確認したがるように、私たちも神の約束を繰り返し思い起こす必要があります。しかし、神は人間の親とは異なり、その約束を決して忘れることはありません。むしろ問題は、私たちの側がこの貴重な約束を忘れがちだということです。
特に復活と永遠の命に関する約束は、最も重要なものです。なぜなら、これは人間の最も根源的な関心事である「生」と「命」に直接関わるからです。この約束は、現在の苦難や困難を超えて、私たちに希望と慰めを与え続けます。
クリスチャンとして生きるということは、この復活の約束を日々の生活の中で覚え、それによって導かれることを意味します。それは単なる教理上の真理ではなく、私たちの生き方全体を形作る力となるのです。
神の約束を信頼して生きることは、死の現実に対する新しい視点を与えます。それは恐れや終わりではなく、キリストとの永遠の命への入り口として見ることができるのです。この信仰によって、私たちは現在のいかなる状況の中でも、希望を持って生きることができるのです。
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