2025年6月20日金曜日

生き続ける意味

 

1【指揮者に合わせて。コラの子の詩。アラモト調。歌。】

2神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。

3わたしたちは決して恐れない/地が姿を変え/山々が揺らいで海の中に移るとも

4海の水が騒ぎ、沸き返り/その高ぶるさまに山々が震えるとも。〔セラ

5大河とその流れは、神の都に喜びを与える/いと高き神のいます聖所に。

6神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる。・・・

 


自然災害、社会不安、個人的な困難など、世界が激しく揺れ動くように感じる現代。上記の詩編46編は、どんな混乱の真っ只中でも「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ず

そこにいまして助けてくださる。」と力強く語ります。環境がどう変わろうとも、神は変わることなく、私たちを守る堅固な砦です。真の平和と安心は、状況の安定ではなく、揺るがない神への信頼のうちに見出されます。

 


多忙と喧騒の中で、意識して立ち止まり「力を捨てよ、知れ/わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」との声に耳を傾けましょう。万軍の主は私たちと共におられます。そこにこそ、どんな嵐にも耐えうる不動の希望があるのです。今、頼れる方がいますか? 苦しい時、泣きたい時、不安な時、寂しい時、あるいは、いらだちを感じる時。そんな時、心の内を気軽に打ち明けられる人はいますか?主イエスは、いつでもあなたの言葉に耳を傾けてくださるお方です。そして、あなたが抱えるすべての問題の解決の道を教えてくださいます。何よりも、いつもすぐそばに寄り添ってくださる、そんなお方なのです。

 


今日も一日を走り抜き、生き抜きました。

こうして生きた日々が積み重なり、やがて年を重ねて、還るべき場所へと旅立つ。この世に永住することはできないと、誰もが知っています。しかし、人々はその旅立ちの準備をしないまま、ある日突然、この世を去ってしまうのです。

 


だからこそ、悔いが残る。

けれど、その悔いさえも人生の一部なのでしょう。悔いのない人生など、あり得ないのですから。それが、私たち人間のこの世での営みなのかもしれません。

 


ただ、大切なのは、悔いだけでなく、誇れるものを残すこと。

諦めずに家族を愛し続けたこと。嫌なこともあったけれど、最後まで共に暮らしたこと。一緒に笑い、共に泣き、手を取り合って歩んだこと。そうした人生の確かな足跡を刻むことが、何よりも大切なのです。

 


今日も2時に起き、祈りと掃除から一日が始まりました。愛犬ノアの散歩、ランニング、家族のためのサンドイッチ作り、アパートの階段掃除、会堂の除湿器のタンクの水を捨て、礼拝の説教準備、夕食の仕込み、妻を職場へ送り、買い物、洗濯物をたたむ。そして夜は、再び教会の仕事。


 

これらはすべて、生きているからこそできることです。繰り返される単調な日課かもしれませんが、これこそが人生。そして、どんな単調な毎日の中にも、主が共にいてくださることを感じます。

 


ただ食べて、飲んで、眠るためだけに生きているのではありません。この一日一日が、天の御国へと向かう大切な道のりの一部だと知っているからこそ、愛おしいのです。人生の意味と価値を、天にある主への信仰のうちに見出す者は、最も幸せな人です。

 


明日のことは誰にも分かりません。しかし、今この時をどう生きるべきかは分かります。だから、ただ今を精一杯に生きる。それだけです。

 


この8月、娘が成人を迎えます。「美味しいお酒を味わってみたい」と言うので、今から楽しみです。当日は私が腕を振るってご馳走を作り、色々なお酒を揃え、ノアも一緒の家族四人で、ささやかなお祝いをする予定です。感謝。

0 件のコメント:

コメントを投稿

朝ランから見えた真の指導力:歴史が教える支配の本質

  朝ランから見えた真の指導力:歴史が教える支配の本質   海の日の山道で 今朝、海の日にも関わらず私の足は山の方向を向いていました。 20 キロ走った翌日は休息日と決めていたはずなのに、体が自然と外へと押し出してくれる。この感覚は不思議なもので、まるで何かに導かれる...