夜明け前と、夜明け。その違いは、単に空が白み始めるかどうか、という物理的な現象に過ぎないのかもしれません。地球が自転し、太陽の光が地平線の向こうから差し込む。私たちはそれを「当たり前のこと」として受け取り、その一つひとつの奇跡に心を留めることは稀です。
しかし、もし、ある朝。約束されたはずの夜明けが訪れなかったとしたら、世界はどれほどの闇と不安に包まれるでしょうか。
私たちの人生にも、夜明けが来ないと感じるような、深い闇の時があります。努力しても報われず、祈っても静寂が続き、希望の光が一筋も見えない夜。そんな時、私たちは「当たり前」だと思っていた神様の恵みや、日常に隠されていた無数の奇跡の存在を、痛いほどに思い知るのです。
聖書は、神様ご自身が光であり、闇の中を照らす希望であることを語ります。私たちの心の夜がどれほど深くても、神様の真実の光は、決して消えることがありません。物理的な夜明けが、地球の自転という神様が定められた秩序によって必ず訪れるように、私たちの人生の夜明けもまた、神様の変わることのない愛と真実によって、必ず約束されています。
キリスト者にとって、究極の夜明けはイエス・キリストの十字架と復活です。それは、罪と死という最も深い闇を打ち破り、決して失われることのない永遠の希望の光を、この世界にもたらした出来事でした。
だからこそ、私たちは闇を恐れません。たとえ今が、夜明け前の最も暗い時間であったとしても、私たちは知っています。東の空が白み始めるように、主の恵みは必ず訪れることを。
私たちの希望は、決して揺らぐことのない「光」そのものである、主イエス・キリストにあるのですから。
毎朝訪れる夜明けに、当たり前ではない神様の誠実を見出し、今日も感謝と共に、光の中を歩んでまいりましょう。
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