2025年7月1日火曜日

サンティアゴ祈りの旅の準備

 


2025113日~22日: 第9回目のサンティアゴ祈りの旅(Vía de la Plata/銀の道)

この道は以前歩いたことのある道ですが、今回は日数の関係でセビリアからサラマンカまでの約500キロを歩くことにしました。実際に歩くのは約10日間ですが・・・・いつものことですが、今回も厳しい祈りの旅になると思います。先日、飛行機も現地での高速列車や高速バスも宿泊施設も予約済です。あとは11月が来るのを待つのみですが・・・・・

今回、歩く「銀の道」について説明したいと思います。

 

名前の由来は「銀」ではなく「石畳の道」

「銀の道」という名前は、ローマ時代後のイスラム支配時代に使われていた**アラビア語の「al-balat(アル・バラート)」**に由来すると言われています。

 

名前の変遷

ローマ時代:元々の道

紀元前、ローマ人によってスペインを南北に縦断する軍用・商業道路として建設されました。当時は特定の名前があったわけではなく、単に重要な幹線道路でした。ローマの道は、その頑丈な**石畳(いしだたみ)**で有名でした。

 

イスラム支配時代:アラビア語での呼称

8世紀以降、イベリア半島はイスラム勢力(ムーア人)に支配されます。彼らはこのローマ時代から続く立派な石畳の道を**al-balat(アル・バラート)」**と呼びました。

これはアラビア語で**「舗装された道」「石畳の道」**を意味する言葉です。

 

レコンキスタ以降:スペイン語への変化

キリスト教徒が国土を再征服(レコンキスタ)していく過程で、アラビア語の「al-balat」という音を聞き取ります。この 「バラート」という音が、スペイン語の「plata(プラタ=銀)」の音に似ていたため、人々はこの道を「Vía de la Plata(銀の道)」と呼ぶようになりました。

つまり、意味ではなく、音の類似によって名前が変化した(民俗語源)と考えられています。

 

よくある誤解:「銀を運んだ道」説について

アストゥリアス地方の鉱山で採掘された銀を、南の港町セビリアまで運ぶために使われた道だから「銀の道」と呼ばれた、という説も広く知られています。このルートが物資輸送の重要な道であったことは事実ですが、「銀の道」という名称の直接的な由来としては、現在では言語的な変化(アラビア語からの音の借用)による説が最も支持されています。

 

まとめると、「銀の道」というロマンチックな名前は、実際にはローマ人が敷いた「石畳の道」を

指すアラビア語が、後世のスペイン人によって聞き間違えられ、定着したものと言えるのです。

 


さて、今日も26キロを走り切った後、休む間もなく仕事を続けています。午前中は妻を仙台まで送り、帰りにロピアで買い物をしてきました。帰宅後はすぐに料理に取りかかり、春雨サラダとレタスサラダを作りました。昨日のうちに味付けをしておいたお肉もあるので、今日はそれを食べることにします。今回も味見はせずに作ったので、実際に私が食べるのは明日、残ったものになりそうです。ノアちゃんもこの暑さの中、元気に頑張っています。

今日も一日、最後まで前向きに過ごしていきたいと思います。

 

最近、時間の余裕があってこのブログを毎日のように書いていますが、明日からは新しいエッセイ集の作成のために時間がなくなるので、しばらくはお休みにします。週1回は更新したいと思いますが・・・・・

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