2025年11月3日~22日: 第9回目のサンティアゴ祈りの旅(Vía de la Plata/銀の道)
この道は以前歩いたことのある道ですが、今回は日数の関係でセビリアからサラマンカまでの約500キロを歩くことにしました。実際に歩くのは約10日間ですが・・・・いつものことですが、今回も厳しい祈りの旅になると思います。先日、飛行機も現地での高速列車や高速バスも宿泊施設も予約済です。あとは11月が来るのを待つのみですが・・・・・
今回、歩く「銀の道」について説明したいと思います。
名前の由来は「銀」ではなく「石畳の道」
「銀の道」という名前は、ローマ時代後のイスラム支配時代に使われていた**アラビア語の「al-balat(アル・バラート)」**に由来すると言われています。
名前の変遷
ローマ時代:元々の道
紀元前、ローマ人によってスペインを南北に縦断する軍用・商業道路として建設されました。当時は特定の名前があったわけではなく、単に重要な幹線道路でした。ローマの道は、その頑丈な**石畳(いしだたみ)**で有名でした。
イスラム支配時代:アラビア語での呼称
8世紀以降、イベリア半島はイスラム勢力(ムーア人)に支配されます。彼らはこのローマ時代から続く立派な石畳の道を**「al-balat(アル・バラート)」**と呼びました。
これはアラビア語で**「舗装された道」「石畳の道」**を意味する言葉です。
レコンキスタ以降:スペイン語への変化
キリスト教徒が国土を再征服(レコンキスタ)していく過程で、アラビア語の「al-balat」という音を聞き取ります。この
「バラート」という音が、スペイン語の「plata(プラタ=銀)」の音に似ていたため、人々はこの道を「Vía de la Plata(銀の道)」と呼ぶようになりました。
つまり、意味ではなく、音の類似によって名前が変化した(民俗語源)と考えられています。
よくある誤解:「銀を運んだ道」説について
アストゥリアス地方の鉱山で採掘された銀を、南の港町セビリアまで運ぶために使われた道だから「銀の道」と呼ばれた、という説も広く知られています。このルートが物資輸送の重要な道であったことは事実ですが、「銀の道」という名称の直接的な由来としては、現在では言語的な変化(アラビア語からの音の借用)による説が最も支持されています。
まとめると、「銀の道」というロマンチックな名前は、実際にはローマ人が敷いた「石畳の道」を
指すアラビア語が、後世のスペイン人によって聞き間違えられ、定着したものと言えるのです。
さて、今日も26キロを走り切った後、休む間もなく仕事を続けています。午前中は妻を仙台まで送り、帰りにロピアで買い物をしてきました。帰宅後はすぐに料理に取りかかり、春雨サラダとレタスサラダを作りました。昨日のうちに味付けをしておいたお肉もあるので、今日はそれを食べることにします。今回も味見はせずに作ったので、実際に私が食べるのは明日、残ったものになりそうです。ノアちゃんもこの暑さの中、元気に頑張っています。
今日も一日、最後まで前向きに過ごしていきたいと思います。
最近、時間の余裕があってこのブログを毎日のように書いていますが、明日からは新しいエッセイ集の作成のために時間がなくなるので、しばらくはお休みにします。週1回は更新したいと思いますが・・・・・
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