「寒さに慣れる」ということ 〜心が環境を超えるとき〜
今朝、26キロの朝ランを完走しました。冷たい風が頬を刺し、吐く息は白く、足元のアスファルトも凍てつくような寒さ。それでも、私は走りきることができました。なぜか?それは、寒さに「慣れた」からです。でも、ここで言う「慣れた」とは、「寒くない」という意味ではありません。寒さは寒さとして、ちゃんとそこにあります。指先はかじかみ、耳は赤くなり、身体は震えます。それでも走れるのは、身体が寒さに適応しているから。そして何より、心がその寒さを受け入れているからです。
寒い国に住む人々も同じです。彼らが寒さを感じないわけではありません。ただ、その環境に身も心も馴染ませて生きているのです。人間は、どんな環境にも「慣れる」ように創られています。たとえそれが過酷な状況であっても、時間とともに適応していく力を持っているのです。
けれど、すべての人がそうなれるわけではありません。なぜなら、慣れるかどうかは「心」が決めるからです。環境を拒む心は、身体の適応をも妨げてしまいます。逆に、心が「これは自分の道だ」と受け入れたとき、身体もまたその道を歩む準備を始めるのです。
人生には、避けられない寒さがあります。突然の試練、思いがけない困難、長く続く苦しみ。そんなとき、私たちは「なぜこんな目に遭うのか」と嘆きたくなります。でも、どうせ通らなければならない道ならば、まっすぐに受け入れて歩いていく方が、ずっと楽になるのです。
今朝のランも、最初の数キロは正直つらかった。でも、「今日は26キロ走る」と決めた心が、寒さを受け入れ、足を前に進めてくれました。気づけば、冷たい風も、凍った道も、私の一部になっていたのです。寒さに慣れるとは、環境に負けない身体をつくること。そして、何よりもその環境を受け入れる心を育てること。今日もまた、心の中に小さな春を灯しながら、前へ進んでいきたいと思います。
今日も生きることです。どうせ生きることを決めたならば精一杯に生きることです。神様のために、人々のために生きることです。もちろん自分のためにも。
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