【地球という聖所を守る】限界の時代のキリスト者の歩み
現代を生きる私たちは、今、かつてない「限界」の時代に立っています。先日、オーストラリアのフリンダース大学などの研究チームが発表した報告(『Environmental Research Letters』誌掲載)は、人類にとって極めて厳しい現実を突きつけました。現在、地球の人口は約83億人に達していますが、地球が本来持つ資源の再生能力や環境の自浄作用から見れば、すでに持続可能な収容限界を大きく超えているというのです。
研究によれば、もし全人類が先進国並みの豊かな生活を求めるならば、地球の適正人口はわずか15億人から25億人程度にすぎないといいます。私たちは今、未来の世代が使うべき資源を「前借り」し、地球という器から溢れ出すような過剰な消費を続けているのです。この「飽和」の状態は、私たちが目的地を見失い、ただ闇雲に走り続けている姿に似ています。
神が創造の業を終えられたとき、「極めて良かった」と仰ったその世界には、調和と秩序、そして「余白」がありました。しかし、現代の不条理は、私たちがこの「管理人」としての責任を、自らの「欲」という欲望にすり替えてしまったことから始まっています。解決策は科学的に提示されています。「人口を抑制し、消費を抑えること」です。しかし、なぜこれが実現しないのでしょうか。それは、現代人が「犠牲」を極端に嫌うからです。誰もが自分は痛みを受けず、他人も痛まず、それでいて全てが解
決するという「ウィン・ウィン」の幻想を追い求めています。私たちキリスト者の使命は、この「犠牲を厭う世界」にあって、あえて「十字架の道」を指し示すことにあります。主イエス・キリストがそうであったように、報いを1%も期待しない、純粋な自己犠牲の歩みこそが、硬直した世界に風穴を開けるのです。それは、無理な拡大を求める生き方から、神が定められた「足もとの一歩」を大切にする生き方への転換です。
私が今週、120kmという距離を走る中で学んだのは、「週100km」という自分の限界を知り、それに「満足する」という知恵でした。満足すること、すなわち「足るを知る」ことは、地球の資源を守るための最も具体的で霊的な戦いです。自分の欲を十字架に付け、主から与えられた「命の冠」だけを唯一の報酬として、簡素に、しかし豊かに生きる。その一人ひとりの「小さな安息」の積み重ねこそが、傷ついた地球を癒やす「聖霊の風」となるのです。
今、私たちの足もとにあるランプは、遠い未来を全て照らしはしません。しかし、今日踏み出すべき「慎ましい一歩」は、はっきりと照らしています。主が造られたこの地球という聖所を、次世代のために守り抜く。その管理人の使命を、私たちは今、改めて深く刻まねばなりません。すべては主なる神様の栄光のために!!!

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