汗と冷たいコーヒーが繋ぐもの ―― 平和という名の、愛の「手作り」
午前四時半の路上と、季節を告げる汗のしずく
迷いを振り切るように、結局、私は今日も朝の路上に立っていました。時計の針が午前四時半を回る頃にスタートを切り、昨日と全く同じコースを辿って、23キロの距離を走り抜きました。
一歩一歩路面を蹴るたびに、大気に含まれる熱がじわじわと身体にまとわりついてくるのを感じます。季節は確実に、だんだんと夏場へと向かっています。それに伴い、走ることへの負荷も少しずつ苦しくなってきました。
全身を止めどなく流れる汗の量が、私にひとつの確かな事実を告げています。そろそろ、自らの手でお水を持参して走る時期がやってきたのだ、と。これから先はさらに厳しいランニングの季節となりますが、環境の変化にしっかりと対応する準備を整えながら、私はこの道を走り続けたいと願っています。
スタバの約束と、満面の笑みが教えること
朝ラン23キロの闘いを終えて迎えた、家族の朝。 今日、娘は自らの学びの場である実習へと向かいます。厳しい環境に立ち向かう彼女の背中を押すために、私はひとつの提案をしました。
「帰りはパパが迎えに行くよ。その時、スタバのコーヒーも買って車で待っているから、メニューが決まったら到着時間などを知らせてね」と。
その言葉を聞いた瞬間、娘の顔にパッと「満面の笑み」が咲き誇りました。朝から彼女の心のテンションが、目に見えて上向きになったのが分かります。
そして妻に対しても、「今日は送っていくことは出来ないけれど、帰りには必ず迎えに上がるからな」と言葉を手渡しました。この何気ない朝のやり取りのなかで、私はある深い真理に直面していました。
それは、「平和と笑顔を作ってあげるのは、決して自然に起きる現象ではなく、誰かの確かな努力が必要である」という事実です。
私たちは時折、家庭の団らんや穏やかな日常を「そこにあって当たり前のもの」として消費してしまいがちです。しかし、自然のままに放置された庭がやがて荒れ果ててしまうように、人の心もまた、誰かが水を注ぎ、手入れをしなければ、すぐに渇き、すれ違ってしまうものなのです。
愛とは、先回りして「水」を準備する努力
私が夏のランニングの厳しさを予期して「お水を持参しよう」と準備するように。 実習という闘いで乾ききった娘の心を見越し、冷たいスタバのコーヒーを「先回りして」車に準備するように。
愛する人の笑顔は、天から偶然降ってくるものではありません。それは、誰かが相手の労苦を思いやり、自分の時間とエネルギーを削って生み出した「手作りの芸術」です。
聖書は、私たちが自ら進んで平和を創り出すことの尊さを、このように語っています。
「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれます。」(ヤコブの手紙 3章18節)
平和を「待つ」のではなく、平和を「実現する(創り出す)」人になること。 自分自身は23キロの疲労で身体が悲鳴を上げていても、愛する妻や娘のために車のキーを握り、迎えに行く。その誰にも見えない「ひと手間という名の努力」が種となって蒔かれるとき、我が家という空間に、何ものにも代えがたい「笑顔の収穫」がもたらされるのです。
今日、誰かのために汗を流す
あなたの周りにある「平和」は、今、誰の努力によって支えられているでしょうか。そしてあなた自身は今日、誰の笑顔のために、ほんの少しの汗を流すことができるでしょうか。完璧な人間になる必要はありません。ただ、ほんの少しだけ相手を想う「準備」があれば、世界は確実に温かくなります。
- 環境の変化を受け入れる: 夏の暑さや生活の厳しさに文句を言うのではなく、「それに対応して走り続ける」ための準備(水)を整える。
- 小さなオアシスを約束する: がんばる誰かに、「帰りに待っているよ」「好きなものを買っておくよ」という未来の楽しみ(スタバのコーヒー)を約束し、今日を生き抜く力をプレゼントする。
- 努力を惜しまない: 平和と笑顔は「自然発生」しないという事実を胸に刻み、大切な人のために、あえてひと手間をかける労苦を愛する。
助手席のコーヒーと、変わらぬ歩み
やがて夕暮れが訪れ、車の中で娘の好きなコーヒーの香りが漂う頃。助手席のドアが開き、疲れ果てた彼女が満面の笑みで乗り込んでくる瞬間を想像するだけで、私の魂はすでに深い喜びで満たされています。
夏へと向かう道がどれほど厳しくとも、私たちは決して一人で走っているわけではありません。愛する者の笑顔という最高の報酬がある限り、どんな労苦も、美しい汗へと変わっていくのですから。
誰かのために心を砕くその尊い努力を胸に抱きながら、明日という新しい路へ向かって、力強く一歩を踏み出していきましょう。
今日も、共に前進です。こういう気持ちで今日の総会会議に臨みたいと思います。
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