焦げ付く日常の手触りと、日々新しくされる心
台所に立ち、真新しいフライパンを火にかける。油が静かに熱を帯び、食材が滑るように心地よい音を立てる。その引っ掛かりのない軽やかな手触りに、ふと深く息を吸い込むような安堵を覚える瞬間があります。
はがれ落ちたコーティングと、新しい手触り
先日終わったアマゾンのプライムデー。今回、私が選んで「勝った」と言えるのは、新しいフライパンセットでした。 これまで長年(?)愛用してきたフライパンは、すっかりコーティングがはがれ落ちてしまっていました。料理をするたびに食材が底に無残にくっついてしまい、それを剥がそうとする小さなストレスが、日々の台所仕事に重くのしかかっていたのです。ついに思い切って、その古いフライパンと鍋を捨て、新しいものを購入しました。
そして先ほど、さっそく新しいフライパンで料理をしてみたのです。結果は、やはり「いい感じ」でした。食材が焦げ付かず、スムーズに動く。たったそれだけのことで、日常の風景が少しだけ明るく見えました。
過去へと流れ去る「新しさ」の法則
しかし、真新しいフライパンを洗いながら、静かな思索が胸の奥に広がっていきました。 新しいものは、手にした最初はいつだって良い感じがするものです。しかし、毎日火にかけられ、使われている内に、その最初の新鮮な手触りは間違いなく過去へと流れてしまいます。
どんなに丁寧に扱っても、やがて新しいものは古いものに変わる。コーティングはいつか再びはがれ、傷がつく。 これが、形ある物がもつ本来の姿であり、この世界にある逃れられない法則です。
そして私たちは時として、自分自身の命や人生も、このフライパンと同じ法則に支配されていると思い込んでしまうことがあります。 年齢を重ね、体力がすり減り、人生の「コーティング」がはがれて、様々な問題が心に焦げ付くようになる。「自分はもう古びてしまった」「あの頃のような新鮮な喜びはもう戻ってこない」。そうやって、すり減っていく自分自身の姿に落胆し、ため息をつく夜があるのです。
日々新たにされる「内なる人」
しかし、聖書は私たちが生きるこの物質的な法則とは全く異なる、もう一つの真理を告げています。 物は使えば古びていきます。でも、人の心は、年をとっても新しくなることができるのです。
使徒パウロは、コリントの信徒への手紙の中で、過酷な苦難と老いの中で肉体がすり減っていく現実を見つめながら、こう力強く宣言しました。
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は滅びていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」
(コリントの信徒への手紙二 4章16節)
どれほど外側の肉体が年を重ねようとも。 どれほど生活の中で困難が焦げ付き、感情がすり減るような出来事があろうとも。 神様に愛され、生かされている私たちの「内なる心」は、決して過去へと流れて古びていくことはありません。神様の恵みという見えない手が、私たちの魂を昨日よりも今日、今日よりも明日、より豊かで新しいものへと造り変え続けてくださるからです。
永遠の真新しさへ向かって
私たちは、ただすり減って、古びて、捨てられていくような存在ではありません。 今日、あなたが抱えている心の焦げ付きや、どうしようもない疲労感の奥底で、神様はあなたの魂に静かに触れ、あなたを「全く新しい存在」として今この瞬間も磨き上げておられます。
- 外側の衰えに、心を奪われないでください。
- あなたの内側には、決して剥がれ落ちることのない、神様の愛がコーティングされています。
使い古された過去を数えるのをやめて、今日新しく与えられる命の軽やかな手触りを、もう一度信じてみませんか。
今日も、共に前進です。
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