恵みの雨と30キロの足跡、ただ「家族だから」という愛の真理
今日から9月。新しい季節の幕開けは、午前1時41分の静寂の中で始まりました。
走る前のルーティンワークを静かに整え、午前3時、まだ深い暗闇の中へと駆け出します。今日は久々に、太白山の方へと向かうコースを選びました。
頭に点したヘッドライトの細い光だけを頼りに一歩一歩を重ねていると、やがて空から雨が降り始めました。それは決して冷たい障害などではなく、火照る体を優しく冷やしてくれる、非常に心地よいシャワーランとなりました。
今日から定めた新たな目標。それをしっかりと見据えながら、30キロを無事に完走しました。新しい月の始まりに降る雨は、次なるステージへの歩みを祝福してくれる恵みのようにも感じられました。
「いつも通り」という名の、最も尊いサポート
私がこうして新しい目標に向かって走るのと同じように、家族もまた、それぞれの道を懸命に走っています。 娘は今日も実習という学びの現場へ向かい、妻もまた自らの仕事へと出かけていきます。それぞれの場所でひたむきに頑張る姿を思うとき、私の心には深い感謝が湧き上がってきます。
彼女たちに対して、私ができることは何でしょうか。
- 特別な魔法や、大げさなサポートがあるわけではありません。
- いつものように車で送り迎えをすること。
- 帰りを待って、美味しい料理を作って食卓に並べること。
- 今日は妻を送った帰りに、ドン・キホーテとロピアに立ち寄り、日々の生活に必要なものを買い揃えること。
言葉にすれば、ごく当たり前の「日常の風景」に過ぎません。しかし、この地道な日々の支え合いの中にこそ、私たちの命を温め、前へ進む力を生み出す本質が宿っているのです。
ただ「家族だから」という無条件の光
なぜ、私たちは見返りを計算することなく、目の前の人のために食事を作り、車を走らせることができるのでしょうか。
「理由は、家族だからです。ただそれだけです。」
この「ただそれだけ」という思いの裏には、実はとてつもなく深い真理が隠されています。条件付きの愛(「〇〇をしてくれるから愛する」「役に立つから大切にする」)は、状況が変わればもろくも崩れ去ってしまいます。しかし、「ただ家族だから」という理由は、どんな不条理や嵐がやって来ても決して揺らぐことのない、最強の土台なのです。
聖書が教える神様の愛もまた、同じ響きを持っています。私たちが何か立派なことを成し遂げたからではなく、ただ「私の子だから」という無条件の愛で、いつも私たちを包み、日々の糧を与えてくださっています。
目の前の人を、ただ大切に生きる
どこか遠くに、特別な意味を探し求める必要はありません。今日、目の前にいる家族を大事にして生きる。美味しいご飯を作り、買い物をし、「いってらっしゃい」と背中を見送る。その繰り返される小さな営みこそが、最も確かな希望の形です。
9月の雨の朝、30キロの道のりを真っ直ぐに照らしたヘッドライトのように。 今日も、自分の手の届く範囲の日常を、愛をもって温かく照らしながら歩みましょう。
今日も、共に前進です。
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