デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年9月8日火曜日

朝ラン25キロ完走

 


頭を垂れる稲穂と、愛の重さという名の「実り」

午前4時過ぎ、まだ薄暗い道を走り出しました。肌に触れる風にも、吸い込む空気にも確かな秋の気配が溶け込んでいる、気持ちの良い25キロの朝ランでした。

 


田畑の広がる道を抜けていくと、豊かな実をつけた稲が、その重みで少しずつ倒れ、頭を垂れ始めていました。いよいよ収穫の時が訪れます。 その黄金色の風景を見つめながら、私の内側に一つの静かな問いが生まれました。 「今年の秋、私自身には収穫するような『心の実り』があるだろうか?」

  • 兄弟姉妹のために、十分に祈っただろうか。
  • 病床にある姉妹や、孤独の中にいる兄弟姉妹に手紙を書き送ったが、本当に足りていただろうか。
  • 家族のために奉仕をしてきたが、もっと愛せたのではないか。

歩みを振り返れば振り返るほど、善いことを十分になし得ていない自分の「足りなさ」ばかりが浮き彫りになっていきます。

 


昨夜は23時半に娘のアルバイト先まで車を走らせて迎えに行き、共に帰宅しました。そこから3時間ほどの短い睡眠を挟んで、今朝のランニングへ。そして走り終えたいま、娘を駅まで送り届け、このあと10時からは妻を仙台まで送る予定が控えています。 「家族だから」という大切な務めです。しかし、正直な本音をこぼせば、さすがに疲労を感じ、「少し休みたい」とため息をつきたくなる瞬間もあります。

 


しかし、この痛みと疲労の只中に立つとき、私の心は不思議と世界へ向かって開かれます。現実の社会には、同じように疲れ果て、それでも愛する誰かのために休むことなく身を粉にして働いている人々が無数にいるのです。自分の体が疲れているからこそ、彼らの痛むような思いが、痛いほどによく分かります。

 


「十分ではない」「もっとできたはずだ」という葛藤は、決して実りが少ないから生まれるのではありません。それは、稲穂が豊かな実をつければつけるほど深く頭を垂れるように、誰かを真剣に愛し、重荷を背負おうとするからこそ生まれる「謙遜という実り」なのです。

 


休みたいと願う体を引きずりながらも、命がある限り、私たちは精一杯に今日を生き抜きます。心置きなく、ゆっくりと羽を休める安息の日は、主が待つ天国のために大切に取っておけばよいのですから。重い稲穂のように、祈りと愛の重みで頭を垂れながら。

今日も、共に前進です。

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