嵐の前の静寂と、名もなき「一人大会」を走り抜く祈り
午前2時に起床し、静けさの中で早朝のルーティンを終え、午前3時にランニングをスタートしました。すっかり涼しくなった夜気を肺の奥まで吸い込みながら、昨日と同じコースをたどりつつ、今日はさらに距離を延ばして走り出しました。季節の移ろいを感じる心地よい風が背中を押し、澄んだ空気の中で非常に気持ちよく足を進めることができました。
すれ違うランナーと、孤独な道の交差点
走り出して約20キロ地点、愛宕大橋に差し掛かった時のことです。何かの大会に出場している3人のランナーたちが駆け抜けていく姿を目にしました。それぞれの胸には、誇りを示すようにナンバープレートがつけられています。さらに、帰路についた午前7時頃にも、懸命に前を見据えて走る一人のランナーとすれ違いました。
常にたった一人で「一人大会」を走り続けている私にとって、そうした公式の大会は縁のない世界です。しかし、彼らのひたむきな姿を見たとき、私の内側には不思議なくらい澄み切った喜びが湧き上がり、心から彼らの背中を応援している自分がいました。
それぞれのゼッケンと、与えられた使命
私たちは皆、人生というそれぞれに異なるコースを走るランナーです。
- 目に見えるゼッケンをつけて、誰かと共に走る華やかな道
- 誰の目にも留まらない、孤独で静かな「一人大会」を黙々と進む道
どちらの道が優れているということはありません。本質的なのは、自分に与えられたコースの孤独を引き受けながらも、すれ違う他者の健闘を心から祝福できる、その魂の柔らかさにあるのではないでしょうか。
今日は、主の日の礼拝(振起日礼拝)を心に深く刻み、祈りを込めながら最終的に45キロを走り抜きました。限界に挑むようなこの距離もまた、私に与えられた使命と向き合うための静かな礼拝の一部です。
明日の嵐を委ね、今日を生き切る
天気予報によれば、明日はこれまで経験したことのないような激しい雨が降ると告げられています。未曾有の嵐が近づくとき、人はどうしても明日のことばかりを思い煩い、心をすり減らしてしまいます。
しかし、聖書が教えるように、私たちが本当に引き受けるべき重荷は「今日」という一日分だけです。明日の激しい雨は、すべてを治められる主の御手にすっかりと委ねてしまえばよいのです。未だ見ぬ明日の嵐を恐れるのではなく、今日私に託された使命をしっかりと果たし、誠実に歩みを重ねていくこと。それこそが、どんな天候の中でも変わらない私たちの確かな道しるべです。
今日も、共に前進です。
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