今朝は大年寺で階段トレーニングを行いました。
ひんやりとした空気の中に、深まりつつある秋の気配を感じながら一段一段を駆け上がります。途中で息が切れ、足も重くなります。それでも前へ進み続けます。
そして階段を上り切ったとき、目の前に現れるのが巨大な「前進」の文字です。
「前進」
人生は前に進まなければなりません。私たちは時間の流れの中で生きています。誰も時間を止めることはできませんし、過去に戻ることもできません。だからこそ与えられた今日という一日を受け止め、その時の中で最善を尽くしながら生きるのです。しかし、ここで一つの問いが生まれます。
最高の人生とは何でしょうか。
人によって答えは違うでしょう。
初めて絶品の料理を食べたとき、「人生最高!」と思う人がいます。
旅先で目を奪われるような景色に出会い、「こんな素晴らしい人生はない」と感じる人もいます。けれども、その感動は永遠には続きません。時間が経つと記憶は薄れ、やがて慣れてしまいます。同じ体験を繰り返せば、最初の感動はどうしても小さくなっていきます。それがこの世の与える「最高」です。もちろん、それらは素晴らしいものです。しかし一瞬の喜びで終わってしまうことが少なくありません。けれども聖書は、もっと深く、もっと確かな「最高の人生」があると教えています。それはイエス・キリストと出会い、共に生きる人生です。そしてその人生には、この世のどんな贈り物とも比較できない最高のプレゼントがあります。それが永遠の命です。おとぎ話のように聞こえる人もいるでしょう。
それでも聖書は、それを事実として語ります。そしてその約束を信じて歩む人々がキリスト者なのです。だから私は思います。本当に目指すべきものは、「人生最高!」という瞬間を追い求めることではないのではないか、と。そうではなく、与えられた日常を最高のものへと造り上げていくことなのです。
今朝、娘を駅まで送りました。
その後、教会の階段を掃除し、洗い物を片付け、来週の礼拝の準備をし、今晩の献立を考えます。どれも特別な出来事ではありません。
誰かに褒められることもないかもしれません。
しかし、こうした営みこそが人生を形づくる大切な素材です。
信仰も、愛も、感謝も、特別な瞬間だけで育つわけではありません。
むしろ、こうした地味で目立たない日常の中で少しずつ育まれていくのです。
だから忘れがちなこれらのことを、もっと大切にして生きたいと思います。
大年寺の階段の上に掲げられた「前進」の文字を思い出しながら。
今日もまた与えられた一日を感謝して歩みたいと思います。
最高の人生とは、遠くにある理想ではありません。
神と共に歩みながら、今日という日を丁寧に生きること。
その積み重ねの中にこそ、本当の意味での「最高の人生」があるのです。
今日も共に前進です。
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