デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年9月21日月曜日

ご来光(?)

 


今朝、富士山のご来光を目指す登山者の混雑についての記事を読みながら、ふと約20年前のことを思い出しました。

当時、静岡草深教会の会員の方に誘っていただき、仲間たちと富士山に登ったのです。

11時頃、ヘッドライトの灯りを頼りに山道を歩き始めました。周囲は漆黒の闇です。しかし、不思議なことに、山頂を目指す人々の列には高揚感がありました。「もうすぐ朝日が見られる」という期待が、一歩一歩を支えていたのです。

そして夜が明けました。

東の空が少しずつ赤く染まり、やがて太陽が姿を現した瞬間、山頂には歓声ともため息ともつかない声が広がりました。私もその光景に心を奪われました。(実は自分は高山病で苦しかったのですが・・・しかし下山の時には走って下りました。)

思い返せば、日本で最初に登った本格的な山は富士山だったように思います。少々無謀な山登りの始まりでしたが、その体験がきっかけとなって山が好きになりました。

その後、さまざまな山を歩くようになり、今では山道を走ることもあります。登山からトレイルランニングへと形は変わりましたが、山に向かう気持ちの根っこはあまり変わっていないように感じます。

なぜ人は山に登るのでしょうか。

頂上に立つためでしょうか。 景色を見るためでしょうか。 健康のためでしょうか。

もちろん、それらも理由の一つでしょう。

しかし富士山のご来光を目指す大勢の人々を見ていると、人は単に景色を求めているのではなく、「光」を求めているのではないかと思うのです。

21世紀を生きる私たちは、多くの知識を手にしました。スマートフォン一つで世界中の情報に触れ、AIによって仕事の仕方も大きく変わっています。

それでもなお、人々は夜の山道を登り、東の空から昇る太陽を待ち続けます。

人間の心の奥には、科学や技術だけでは満たされない何かがあるのでしょう。

私たちは知識だけで生きているのではありません。希望によって生きています。

だから今日も、富士山の山頂に向かう人々の列は絶えないのかもしれません。

毎朝昇る太陽は、「今日も新しい一日が与えられている」という静かなメッセージを私たちに届けてくれます。

富士山で見たあのご来光から20年余り。山道を走る今も、その光の中に希望を見出そうとしている自分がいることに気づかされます。

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