自分が決めた道を走るということ
休むはずだった朝に
休むはずだった朝ランを、今日も行いました。先月に引き続き今月も600キロを達成するためです。この距離は、誰かに強いられたものではありません。自分で決めたことです。
ちょっと厳しいなと感じながらも、なんとか頑張れば達成できる。そう思ったから決めた目標です。人から与えられた目標は、ときに重荷になります。
けれども、自分で決めた目標には、不思議な力があります。足が重い朝でも、「誰のためでもなく、自分で選んだ道だ」と思えば、もう一歩前に出られるのです。
土曜日の道で
今日は土曜日で、多くのランナーの姿がありました。今はランニング大会のシーズンでもあるので、それぞれの大会に向けた練習なのかもしれません。すれ違う一人ひとりに、それぞれの目的があるのでしょう。記録を目指す人、健康のために走る人、気持ちを整えるために走る人。けれども、目的がどうであれ、その奥にあるものはきっと同じです。
豊かな人生を生きるため。少しでも幸せを感じるため。
不幸になるために走る人は、一人もいません。
喜びが、まわりへ広がるなら
走って喜び、その喜びを家族や周りの人と分かち合えたら、どれほど良いでしょうか。
社会が明るくなり、笑顔が増え、心に豊かさが生まれる。その豊かさから譲り合いが生まれ、共に元気に生きていける社会。聖書には、こう書かれています。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙12章15節)
喜びは、一人で抱えているより、分かち合ったときにいっそう深くなります。
走り終えた朝の清々しさを、家族に「おはよう」の声で手渡す。それだけでも、家の空気は少し変わります。
それでも、現実は
でも、これは夢なのかもしれません。現実には、ランニングをする人が増えても、社会の犯罪や事故、事件が減るわけではありません。それは別の問題なのかもしれません。
自分一人が走ったところで、世界が変わるわけではない。
そう思うと、自分の小さな喜びが、とても無力なものに感じられることがあります。
けれども、一つだけ確かなことがあります。
この世界や社会を動かし、変えることはできなくても、少なくとも自分を含む家族や、自
分が属する共同体の雰囲気は変えることができる。
まず、そこから始めればよいのです。
小さなパン種のように
主イエスは、神の国をこんなたとえで語られました。
「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」(マタイによる福音書13章33節)
パン種は、ほんのわずかな量です。粉の中に混ぜてしまえば、外からは見えなくなります。けれども、静かに、確かに、粉全体を内側から変えていきます。神の国は、大きな声で世界をひっくり返すことから始まるのではありません。見えないほど小さなものが、身近なところで静かに働き、やがて全体をふくらませていくのです。私たちの笑顔、譲り合い、ひと言の励まし。それはパン種のように小さなものです。けれども、それが家庭に、職場に、教会に、地域に混ぜ込まれるとき、まわりの空気は確かに変わっていきます。
社会全体を変えられないことを嘆く前に、今日、自分のいる場所を少しだけ明るくすること。それが、私たちにゆだねられた働きなのだと思います。
走ったあとは、休む
この四日間、毎日30キロ以上を走り続けました。
明日は、本当に休養日にします。雨の予報でもあるので……。
自分で決めた目標に向かって走ることは、すばらしいことです。
けれども、休むこともまた、自分で決めるべき大切な一歩です。
主イエスは、働き続ける弟子たちにこう言われました。
「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい。」
(マルコによる福音書6章31節)
休むことは、怠けることではありません。次に走り出すための、そして喜びを分かち合う力をもう一度満たすための、神様からの招きです。雨の日は、体を休め、心を静める日にしましょう。
あなたのいる場所から
最後に、読んでくださっているあなたに。
- あなたが自分で決めた「目標」は何でしょうか。
- その目標の先に、どんな喜びがあるでしょうか。
- その喜びを、今日、誰と分かち合えるでしょうか。
世界を変えることはできなくても、あなたの「おはよう」が、あなたの笑顔が、あなたのまわりの空気を変えていきます。小さなパン種として、今日も、あなたのいる場所から。
今日も笑顔で、前進です。


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